2681年 7月 13日 探訪
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此方は
【鹿沼市上南摩町 名稱不明橋】
依り四百米程水沒豫定地の栃木縣道一七七號線を北進した所、南摩川に架る舊線形部分の橋であります。 一見して、如何にも昭和卅年代頃の橋と云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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合志潟橋。 獨立行政法人水資源機構思川開發建設所の廣報誌に據りますと、此處の地區名"合仕方(コシカタ)"が訛つて斯う云ふ具合に成り、讀みは「ガシガタハシ」ださうであります。 |
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南摩川。 其にしましても手荒く凄い斜橋具合であります。 |
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高欄は昭和卅年代の代表的意匠、混凝土管を二本使用しました物であります。 では左岸側へ移動致します。 |
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合志潟橋。 両岸で対象配置でありますね。 斯うして見ますと、枠の樣な意匠に成つて居ります。 |
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南摩川。 草生して居り見辛いでありますが、さう云ふ表記であります。 |
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横から見ました處、一徑間のRCT橋でありました。 して、親柱は無く高欄の柱が兼用されてゐる樣であります。 扠、竣功年でありますが、航空冩眞を確認しました處、是が何と驚きの昭和四一年以降五十年迄の間の樣であります。 如何見ても昭和卅年代だと思つて居りましたので、手荒く衝撃でありました。 併しまあ、不取敢通行止に成る前に見られて良かつたであります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |