2681年 3月 1日 探訪
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此方は
【鹿沼市千渡 堂下橋】
依り武子川を一キロ六百米程下つた所に架る、栃木縣道四號線の橋であります。 最初、某ストリイトビウを見てゐて、歩道にしては一寸アレだなと思つたのでありますが、良く見れば結構な親柱が在りますし、如何見ても舊線形でありましたので、 今囘の訪問と相成つた譯であります。 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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擴幅された側には當然、親柱の痕跡は御坐いません。 多分此方には橋名の銘板が附た親柱が在つた事と思はれます。 |
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武子川。 中々に重厚感の有る親柱であります。 併し、結構舖裝に埋れてゐる樣子であります。 |
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高欄は擴幅、と云ふか線形改良と同時に更新された物と思はれます。 元の姿は、昭和五十年の航空冩眞を參考に致しますと、 【鹿沼市板荷 一ツ橋】 の樣な物だつた樣に見えました。 因に、線形改良が行はれましたのは昭和五二年以降五七年迄の間の樣であります。 では、右岸側へ移動致します。 |
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いゝおかばし。 勾配も緩和され度のでせう、此方の方が依り一層埋れて居ります。 |
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此方にはきつと竣功年度表記の銘板が附た親柱が在つたと思はれます。 因に橋銘の富岡橋でありますが、左岸側の元からの地區名からの命名の樣であります。 |
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横から見ました處、一徑間の鈑橋でありました。 而も 【宇都宮市石那田町 田川大橋】 の樣に補剛が入つて居りますので、田川大橋同樣結構な年代の物件かと思ひます。 と云ふ事で栃木縣の橋梁點檢結果で調べました處、昭和卅年竣功でありました。 成程、矢張さう云ふ年代の橋だつたのでありますね。 併し其にしましても元の地覆から何れだけ嵩上してゐるのだと云ふ程でありますが、之では元の面影はほゞ皆無と云ふ感じでありますね。 因に、舊橋も同一位置に架橋されてゐた樣でありまして、川面に混凝土構造物が見えるのでありますが、其が多分先代橋の何かの遺構かと思はれます。 斯うして見ますと結構な年代物物件でありましたし、中々に面白い發見が有り滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |