2680年 6月 15日 探訪
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此方は
【栗山村日向-日蔭 竹の上橋】
依り一キロ弱程栃木縣道廿三號線を川俣方面へ進んだ處、江戸川に架る橋であります。 まあ、ぱつと見で如何にも昭和卅年代の橋と云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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間違無く後年に成り擴幅されて居ります。 側道橋が昭和五十年に架設されて居りますので、若かしますと其頃に施工されてゐるのでせうか。 |
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江戸川橋。 別體に成つた混凝土板に文字が彫られた銘板でありますので、最初戰前物件かと思ひましたが、其にしましては新しい雰圍氣でありますので、 昭和廿年代末とか卅年代前半頃だらうと云ふ感じでせうか。 |
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高欄は鐵管を二本使用しました意匠でありまして、昭和卅年代や四十年代頃の定番であります。 其と、高欄の端の柱が親柱を兼用してゐる點からも、さう云ふ年代なのは確實でせう。 其にしましても手荒く痛んで居ります。 では左岸側へ移動致します。 |
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此方の親柱は比較的原型を保つてゐる樣であります。 銘板が一寸見辛いでありますね。 |
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昭和廿八年八月竣功。 嗚呼、納得と云ひますか意外と云ひますか、昭和廿年代物件でありました。 嗚呼、と云ひますか納得する部分なのでありますが、昭和廿年代物件でも斯樣な鐵管二本の物件が有るのでありますね。 |
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因に、擴幅部分は鈑桁であります。 |
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では元からの部分の桁なのでありますが、之が實に見辛かつたのであります。呵呵 でも、多分此地覆の感じからしまして、T字桁では無く牀版橋だらうと思はれます。 正直、最初はもつと古く戰前物件なのではと期待して仕舞つたのでありますが、さう簡單には在りませんでしたね。 でもさう、新しい竹の上橋共に此方も架替と云ふ感じで施工されたのでせう。 其は若かしますと川俣ダム建設等との關係が有るのかも知れませんね。 以上、御附合有難う御坐いました。 |