2675年 5月 12日 探訪
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此方は
【茂木町牧野-小深 木須川ノ洞門】
の處から右手、栃木縣道二三一號線を二キロ程進んだ處、八反田川(ハツタンダガハ)に架る、架つてゐた橋であります。 まあ所謂舊道化廢道化した部分の廢橋なのでありますが、之が面白い事に成つて居りましたので、樂しみ乍觀察して來ました。 でありますが、之では何が何だか分ら無い寫眞でありますね。 眞正面からの寫眞でありますが。呵呵 不取敢此方、右岸側から見て行きます。 |
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反所橋。 藪を掻分て撮影致しました。 して、正確な讀みは分りませんが、多分「タンジヨハシ」では無いかと推察致します。 |
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八反田川。 えゝと、今年(平成廿七年)で廢橋歴大凡十六年と云ふ處の樣であります。 草木つて強いでありますね。 |
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も少し見通しの良い處で橋を眺めて見ました。 て、はい、さうなのであります。 實は桁だけが撤去されて居りまして、兩岸の橋臺と親柱は其儘殘つてゐると云ふ状態なのであります。 でもさう、綺麗な心の儘の貴兄には、例へば 【茂木町入郷 中島橋】 の樣な姿が見えてゐる事でせう。呵呵 |
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否、其は例へばの話でありますが、橋を横から見ますと斯う云ふ具合なのであります。 主桁が載る部分が路盤に對して隨分と近いと思ひますので、多分にスラブ形式、牀版桁と云ふ形式の橋桁だつたと推察致します。 でありますので、多分に中島橋の樣な意匠の橋だつたのでは無いかと推察した次第であります。 併し本當、中々に豪快な姿ではありませんか。 橋臺を其儘殘して、護岸としてゐるのでせうから。 其にしましても、親柱も全て殘してゐるつて、何共、實際。呵呵 では、左岸側へ移動致します。 |
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扨、新しい反所橋を渡つて左岸側へ遣つて來ました。 御覽の樣に、舊線形部分の路盤も跡形も無く消失して居ります。 唯、兩岸共に下流側の田畑への接續の爲の道は新に作られてゐる樣であります。 |
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反所橋。 他では先づ滅多に御目に掛れ無い光景かと思はれます。 何か、格好良いでありますよね。 |
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昭和四三年一月竣功だつたのでありますね。 と云ふ事で、まあ、大體如何云ふ桁、高欄だつたのかは想像に難くは無い姿だつたと思ひます。 ね。 |
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八反田川。 此方も木須川同樣那珂川の支流で、矢張溪谷的な處を流れてゐる樣でありまして、此處からの眺めは素晴しかつたであります。 |
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して、之が右岸側の橋臺であります。 此方も護岸として其餘生を過して居ります。 併し之、ずうつと此儘殘つてゐて呉れると面白いと思ひます。 以上、御附合有難う御坐いました。 |