2675年 5月 12日 探訪
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此方は
【茂木町牧野-小深 白帆橋】
を渡つた先で左折、栃木縣道二三一號線に入り小深橋を渡つた次の橋であります。 橋の手前左からは舊道が合流、渡つた先右手からも舊道が合流して來ると云ふ處なのでありますが、今では僅か五百米以内の間に三囘も同じ川を渡る事に成ると云ふ譯であります。 而も牧野-小深-牧野-小深と云ふ具合に、目紛しく地區を行き來すると云ふ、何共忙しい具合であります。 本當でありましたら餘固有物件の時には地圖URLは貼り度く無いのでありますが(地域の人の邪魔に成つては申し譯無い爲)、斯う云ふ場所だと云ふ事を知つて戴き度く、 今囘は貼らせて戴きます。 【此方】であります。 出來ますれば是非、ストリイトビウで見て戴き度いであります。 して、まあ、此寫眞で云ひますと、路面に入つてゐる斜の切込が其舊道の名殘、と云へば良いのでせうか。 此複雜さは御覽の通り急峻な崖に添つて木須川が流れて居りますので、まあ仕方が無いと云へば其迄なのでありますがね。 では此方、右岸側から見て行きます。 |
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因に、道路の直脇で此だけの崖でありますから、何本も、何囘も道路が切替つてゐるのも納得と云ふ處でせうか。 唯、法面工が施されてゐ無いので、結構安定した地質なのかも知れません。 良くは分りませんが。 |
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合戸橋。 緑に塗られた銘板が素敵であります。 親柱の意匠は白帆橋と一緒でありますかね。 |
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木須川。 嗚呼、白帆橋もさうでありましたが、路盤にはアスハルト舖裝が後年に成つてから盛られてゐると思ひます。 工事銘板が此方の橋も親柱の内側に設けられて居りますね。 御蔭で、大凡の年代は想像に難く無いであります。 |
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昭和卅九年三月竣功であります。 西暦ですと1964年でありますか。 まあ、此當時の基準に則つた作法でありますね。 |
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排水桝は至つて簡素であります。 舖裝が載つた分だけ周圍の傾斜が附てゐると云ふ處でせうか。 |
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高欄、此方は平たい板状の物では無く、二本の混凝土管を使用した物であります。 併し凄い處を流れて居りますね、木須川。 |
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して、何氣に下流側を見ましたら、舊橋の物と思はれる橋臺を發見致しました。 まあ先づ間違ひ無く戰前物件だと思はれます。 と云ひますか、川牀がビニルか何かで被はれてゐるのは何なのでせう。 其と、アレは水中ポンプでありますかね、多分。 |
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驚破舊道!と思ひつつも、何故か廢墟の樣な物件の方に寫眞機を向てゐると云ふ。呵呵 |
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して、舊橋の橋臺部分の前には木が繁つて居りましたので、其直横から現在の橋の桁を見ました。 此方も所謂T字桁で二徑間の混凝土橋でありますね。 併し之でも舊橋依り少しは高い位置に架つてゐるとは云へ、其でも結構低いでありますよね。 増水時に餘裕無いのではと心配して仕舞ひます。 橋臺以外の痕跡は無かつたので、左岸側へ向ひます。 |
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合戸橋。 はい、此方も銘板は兩岸で對稱の樣であります。 當然と云へば當然、でありますかね。 |
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因に、此方がも一つの舊道であります。 白帆橋を渡つて右手のパイロンの方を廻つて來ますと、此方に出て來ると云ふ具合であります。 |
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木須川。 多分、河川改修で左岸側が擴げられてゐるのだと思ひますが、此高さで増水時が如何なのか一寸心配であります。 と云ひますか、空氣が以下省略。 |
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とか何とか思ひつつ眺めて居りましたら、も一つ何か遺構を發見致しました。 何に如何使つてゐたのかは不明でありますが、廢導水管が在るでは御坐いませんか。 |
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此は之で、結構古い規格の土管、つて今は云は無いでせうか、と云ふかヒウム管でありますかね。 若しかして戰前物件でせうか。 |
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と思つたのでありますが、現在の橋の橋臺を見事避けて設置されて居りますので、昭和卅九年頃以降の物なのは確實と云ふ事でありますね。 而も橋臺の部分迄で途切て居りますので、本當、一體何に使はれてゐた遺構なのでありますかね。 まあ、其は扨措き、結構見所が多い物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |