2675年 5月 12日 探訪
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【茂木町河井-牧野 大藤橋】
から栃木縣道三三八號線を東進する事約七百米、木須川が那珂川へ合流する丁度其所に在る橋であります。 まあ、此邊の道は地圖で見ると色々と複雜さうなのでありますが、不取敢、以前は本筋だと思はれる部分は此處の二百米程手前で左に分岐して居ります。 して、此方は新道なのかと云ふとさう云ふ譯でも無ささうで、何と云ひますか、那珂川と木須川の流れや地形的な部分で、 何通りかの道が出來てゐたと云へば良い樣な感じに見て取れます。ました。呵呵 して、此方の寫眞でも渡河した先、右手に在るパイロンの方へ行くのが舊道、と云つて良いのでありますかね、さう云ふ部分であります。 其で、御覽の通り曲り道の後に橋でありますから、高欄が補修されてゐるのはアレな所爲なのでせう、多分。 落ちてゐ無い事を願ふ許でありますが。 では此方、右岸側から見て行きます。 と、其前に、拙が輕トラ置いた場所、土盛された部分を下る樣な感じでありましたので、多分舊橋の高さの名殘が感じられる處の樣な氣がし無くも無いであります。 |
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白帆橋。 斜に成つたモダアンな意匠に縱書の堂々とした銘板が素敵な、如何にもな年代さうな親柱であります。 下の方が缺けてゐるのは經年劣化と云ふ事でありますかね。 |
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木須川。 親柱の内側に工事銘板が附て居りますね。 と云ふ事は、西暦1960年代の物件確定でせうか。 して、ほら、斯う云ふ具合に橋臺の横を通つて橋の下、其に船の處迄行けるのであります。 と云ふ事で、多分、先代の橋はも少し低い位置に架つてゐたのでは無いでせうか。 此右手の部分の勾配が其名殘と云ふ事でありまして、とか。 併し川面に見えるは那珂川で良く見掛る船なのでありますが、格好良いでありますね。 |
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昭和卅七年十月竣功でありますね。 と云ひますか、未だ此頃つて年度末云々つて關係無いのでせうか。 其が當然だとは思ふのでありますが、段々と色々形骸化と弊害と化してゐるのでは無いかと思ひますが不取敢默つて措きませう。 |
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因に、排水桝は至つて簡素であります。 |
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下りられましたので、一寸したへ潛つて見ました。 矢張昭和卅年代物件、美しい混凝土T字桁橋であります。 全てが如何にも橋らしい橋と云ひますか、此年代の御手本の樣な姿であります。 |
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横桁や牀版、支承の樣子であります。 型枠の跡つて良い模樣だなと感じます。 では左岸側へ移動致します。 |
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高欄は混凝土板を上下二枚使ひました、如何にもさう云ふ年代だなあと感じさせて呉れる意匠であります。 併し凄い崖であります。 其分良い景色でありますが。 嗚呼、下の方に何か道筋らしき物が見えますが違ひます。 唯單に混凝土護岸の上邊と云ふだけでありました。 と云ひますか、之でも整備されてゐる景色なのでありますから驚きであります。 |
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白帆橋。 何か左岸側の銘板は手荒く良い状態の樣な氣が致します。 して、丁度那珂川との合流部が見られます。 併し川船、素敵でありますよねえ。 景色に華を添へて呉れると云ひますか。 |
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木須川。 此方も同樣に、丸で新品に近い樣な状態に見受られます。 併し何と、左右對稱なのは銘板だけでは無く、工事銘板もであります。 贅澤な造りが成されて居ります。 |
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ねえ、手荒く文字がくつきりはつきりでありますよ。 本當に之で五十年以上經つてゐるのかと云ふ感じであります。 |
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最後に右岸側を見た景色でありますが、もう本當に那珂川との合流點に成る岬的な部分を囘り込む樣に道を通して、其處に何とか架橋したと云ふ感じであります。 でありますので、橋臺も岩盤から必要最低限の部分しか作られてゐ無いと云ふ感じでありました。 併し此處、秋に探訪した方が良い景色だつた樣な氣がし無いでも無い、手荒く良い場所でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |