2679年 1月 15日 探訪
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此方は
【日光市稻荷町-所野 霧降大橋】
依り一キロ四百米程大谷川を上つた處に架る、國道一一九號の橋であります。 直傍には彼の有名な神橋が架つて居りますので、觀光地日光の玄關先共云へる場所であります。 して、まあ、案外新しい橋だらうと思ひアレだつた譯でありますが、案外古かつたので今囘取材と相成ました。 まあ、散々飽る程見慣れて居りますし、通り慣れてゐる印象では、歩道を有してゐるから然程の年代では無いと云ふ感じだつたのでありますが、考へて見れば、 或る意味觀光地なので當然の規模だつたのかなあと思ひ直した次第であります。 と云ふ事で、此方右岸上鉢石町側から見て行き度いと思ひます。 |
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日光橋。 御影石の立派な親柱は、先づ間違無く日光東照宮や二荒山神社、輪王寺等を意識した意匠だと思ひます。 |
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高欄は後年に成り附替られて居ります。 して、此方も神社佛閣を意識した意匠に成つて居りますね。 |
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大谷川。 成程、「谷」の字體に年代を感じました。 紛ふ事無く其也の年代物なのは確實であります。 併し此方も 【今市市今市 大谷橋】 同樣一つの石から造出された親柱でありますが、其造形に因るのでせうか、割が生じてゐるのが殘念であります。 |
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伸縮裝置。 此方も如何にも昭和四十年前後と云ふ物であります。 |
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排水桝。 |
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横から見ました處、一徑間の鈑橋でありました。 何處と無く拱橋を思はせる姿は先代橋を偲んでの事なのでせうか。 其共此川幅を一徑間で、而も鈑橋で結ぶには斯う云ふ構造に成るのでせうか。 四本の主桁の内外側の二本だけが斯う云ふ形状なのでありますがね。 左岸側の橋薹も中々の構造であります。 |
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大谷川。 さう、斯樣に囘込んでゐるので橋臺も如彼なのであります。 併し此方も珍しい、下流側が兩岸揃つて河川名の銘板に成つて居ります。 と云ひますか、銘板に關しまして色々と悶着無かつたのでせうか。 |
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此方から見ますと普通の橋臺であります。 |
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日光橋。 因に、橋歴板は何處に在るのか確認出來ませんでしたし、在つたとしましても撮影不可能だつたと思ひます。 扨、竣功年でありますが、栃木縣橋梁點檢結果を見ました處、昭和卅七年でありました。 其年代で斯う云う鈑橋、親柱の意匠等、可也斬新だつたのでは無いでせうか。 觀光地日光に見合立派な出來上りだつた事は想像に難く無いであります。 因に先代橋でありますが、明治卅八年八月竣功の鋼上路ソリツドリブアヽチ橋だつたさうであります。 うゝむ、今と成つては其方の方が見たかつたでありますし、手荒く素晴しい物だつたのでは無いかと思つて仕舞ます。 して、其先代橋は日光軌道等の冩眞で確認出來ますのが幸ひでありました。 まあ、此方も末永く愛でられると良いなと思ふ物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |