2678年 12月 4日 探訪
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此方は
【日光市細尾町 大谷川橋】
を渡り舊道側を進む事約一キロ二百米、左澤川に架る國道一二二號舊道の橋であります。 其と、 【日光市細尾町 大木戸橋】 からは一キロ程上流に成ります。 日足トンネルが出來、否、其バイパスが出來る迄主要道だつた橋でありますから、結構立派な幅員が御坐います。 扨、拙は四十年振の再訪でありますが、當時は何氣無く渡つてゐたゞけで印象に無かつたのでありますが、其也の物件と云ふ事で、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 因に此方、新道からアレな事が確か何度が御坐いましてアレだつたのでせう。 暫く冩眞機の焦點が不合、若くは手荒く手前に合ふと云つた事を繰返しましたので、橋の冩眞を撮りに來ただけで、一寸の間御邪魔しますよと言ひました處、 やつと斯樣に焦點が合つた、と云ふ場所であります。 でありますので、見てゐてアレな場合は閲覽中止を御薦め致します。 |
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左沢。 意匠的にも少し凝つた立派な親柱に、是又立派な縱書の銘板が附て居ります。 未だ澤は澤で、川が附前の年代の橋と云ふ事でありますかね。 |
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ひだりさわはし。 此方側を見ますと、親柱が混凝土製だと云ふ事が分ります。 さう、何で此親柱の上に石が積で有るのか謎なのでありますが、如何やらストリイトビウを見ますと、西暦2013年の頃から少しずつ積れ始つてゐた樣であります。 まさか"と或る何か"での供養の爲なのでせうか。 |
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高欄は鐵柵の樣な意匠であります。 又、伸縮裝置も直線的な儘でありますね。 では右岸側へ移動致します。 |
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昭和三十八年十二月竣工。 成程、中々に年代物でありましたね。 矢張質實剛健の時代から、少しずつモダアンな意匠に變化して來てゐる感じでありますね。 |
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左澤橋。 勿論、橋名は河川名からでありますね。 銘板の字體から推察致しますに、之は手書から起したのでは無く、工業的な字體かと思はれます。 |
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横から見ました處、一徑間の鈑橋でありました。 此年代で此だけの徑間の鈑橋と云ふのも中々に凄い物件でありますね。 因に、舊橋の痕跡は御坐いませんでした。 元々は日本を支へて來た大動脈、と云ふか、多分主要なのは國鐵や群馬側だつたのかなとは思ひますが、其名殘を斯うしてゆつくりと見られる樣に成つたのは嬉しい限りかな、 と思へる物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |