2681年 5月 25日 探訪
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此方は
【鹿沼市板荷 日蔭橋】
依り黒川を五キロ程上つた所、
【日光市南小來川 宇津木澤橋】
から三キロ半程北進し、栃木縣道十四號線を鹿沼方面へ少し進んだ所の橋であります。 此方の途中で東西黒川に分れると云ひますか、合流すると云ふ方が正しいでありますかね、其の西黒川側の橋であります。 まあぱつと見、黒川で云ひますと 【鹿沼市板荷 川化橋】 に似た雰圍氣でありますので昭和卅年代の橋だらうと思ひますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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宮の下橋。 内側角を曲線にする等、結構モダアンな意匠の親柱でありますが、銘板は傳統的な縱書と云ふのが素敵であります。 "橋"が變字體なのが時代を感じさせて呉れます。 |
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西黒川。 昭和四年の地圖で確認致しますと、東黒川側が單に黒川と表記されて居りました。 此方の方が本流かと思つてゐた物でありますから、何か不思議な物でありますね。 |
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高欄は鐵管を二本組込んだ意匠であります。 柱の部分が末廣りに成つてゐる爲、も少し親柱の意匠との統一感が欲しかつた樣な感じであります。 |
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排水桝は何故か結構地覆から離て居ります。 では右岸側へ移動致します。 |
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宮の下橋。 橋名は地區名からでは無いので、近くの黒川神社の下と云ふ處からの命名でせうか。 |
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西黒川。 兩岸で對稱配置の銘板でありますから、西暦1960年代物件は確定でせうね。 |
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横から見ました處、拙の大好きなRCT桁でありました。 橋脚は細い型枠跡が無く、現代に近い感じでありますので、當時の最新工法でも使はれて建造され度のでせうか。 因に竣功年でありますが、昭和卅九年でありました。 して、舊橋の痕跡は御覽の樣に御坐いませんでした。 併し中々に良い雰圍氣の橋が見られて大滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |