2679年 6月 4日 探訪
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此方は
【黒磯市島方 名稱不明橋】
依り三キロ程熊川を下つた處、も少し分り易い書方でありますと、ライスラインの熊川の橋依り六百米程上流側饒波氏であります。 雰圍氣的にも上記の橋に近いでありますが、此方は何方かと云ひますと農用道橋と云ふ雰圍氣を其儘殘して居りますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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親柱は無く、高欄の柱が兼てゐると云ふ譯でも御坐いません。 若かしますと、補修と同時にさう成つたのかも知れませんが。 |
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此方も同樣であります。 |
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高欄は鐵管を一本使用しました意匠であります。 路盤が混凝土の儘なのが良いでありますね。 では右岸側へ移動致します。 |
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此方も同樣でありますね。 |
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相馬橋。 をゝ、補修はされ乍も銘板が殘つて居りました。 若かして、銘板は元から此方の一つだけだつたのでせうか。 |
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排水桝は小振であります。 |
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横から見てみました處、此方は二徑間の混凝土牀版橋と云ふ形式でありますね。 あ、橋歴板が附て居ります。 |
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昭和四一年三月廿五日完成でありますね。 發注者の表記が御坐いませんが、何處なのでせう。 |
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序でなので、水無川でありますので川牀に降りて下から主桁を見てみました。 はい、まあ當然の樣に牀版橋でありました。 今囘、橋自體は其也の年代と云ふ事で其也に樂しめましたが、何依りも熊川の川牀を歩いたのが一番の樂しみでありました。 那須野箇原の大地は扇状地云々と詳く説明されて居ります處は簡單に出て來ると思ひますので割愛致しますが、其を實感出來ると云ふ事で手荒く良かつたであります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |