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此方は東荒川ダムの建設に伴ひ舊道、廢道化した栃木縣道六三號線の舊道を進んで來た處、尚仁澤に架る橋であります。
もうぱつと見で普通の縣道基準の橋と云ふ感じでは無く、何方かと云ふと林道の其に近いのでは無いかと思ひますが、
若かしますと元々さう云ふ道だつたのを縣道指定にしたのかも知れませんので、古き良き、本當に良かつたのか如何かは措いとゐて、
さう云ふ時代の名殘を今に傳へて呉れる物件なのでは無いでせうか。
と云ふ事で、此方左岸側から見て行きます。
因に、此方左岸側が矢板市長井、右岸側が鹽谷町上寺島であります。 |
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と云ひつつ左岸側からでは良い具合の冩眞が撮れませんでしたので、もう右岸側からであります。
親柱も高欄も竣功當時は無かつたのでせう、後年に成り單管で簡易的、にしか見え無い高欄が附られて居りますし、何の爲になのか波板も下の方には附られて居ります。
何か橋臺と桁、と云ふか牀版でありますかね、其が一體と成つてゐる樣にも見受られますが、若かしますと分割されてゐるかも知れません。
何しろ路盤の上には落葉や堆積物が多いので、其處迄觀察は出來ませんでした。
併しまあ、之では想定の交通量は推して知るべしと云ふ處でせうか。
今はほぼ廢道でありますがね。 |
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てつきり牀版橋かと思ひましたら、横から見ましたらT字桁でありました。
此造りからしまして、多分に昭和廿年代以降卅年代迄の物件かと推察致します。 |
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併しまあ、斯う云ふほぼ林道的な處、且つ可也上流部の樣な澤とは云へ、橋の上から下流側を眺めますれば、
斯樣に人の手がしつかりと入つてゐるのが見て取れます。
其と同時に、側溝が有る處を見ますと、矢張縣道だつたのだなと云ふ感じでせうか。 |
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但し上流側は御覽の樣に、とは云へ、之つて斯樣に大きい石を積んだと云ふ事でせうか。
でありましたら此處迄の大きさの石で積まれた護岸等初て見るのでありますが。
扨、航空冩眞等から竣功年の大凡の想像でありますが、昭和廿七年の冩眞では道自體の存在が不明瞭でありまして、昭和卅八年冩眞では確認出來ると云ふ感じでありますので、
縣道指定に當り、と云ひますか、縣道を通す爲昭和卅年代に新設された、と云ふ處でせうか。
事實、古地圖では道筋が全然別物でありますし、且つ今では其方の古道を確認するもの困難でせうし、事實舊橋の痕跡は確認出來ませんでしたので、其推察で間違無いと思ふのであります。
と云ふ感じで、中々に良い探索が出來ました。
以上、御附合有難う御坐いました。 |