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此方は不通縣道で有名な六二號線の鹽谷町側、逆木用水に架る橋であります。
正直、別段取上る程でも無い樣な感じかも知れませんが、逆木用水が昭和卅年代末頃に作られて居りますので、其頃の橋なのは必至でありますから、
今囘冩眞に收めて來ました。
亦、きちんと縣道が開通した曉には此景色も見られ無く成ると思ひますので、或る意味記念に成るかと云ふ氣持も御坐いました。
と云ふ事で、不取敢此方左岸側から見て行きます。 |
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云つて仕舞ば、四本の親柱共に銘板は御坐いませんし、直に彫られてゐると云ふ事も御坐いませんでした。
唯、其だけでは味氣無いと云ふ爲か、尖つた笠石、と混凝土と此意匠に云つても良いのかアレでありますが、見た目には氣を遣はれて居ります。 |
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して、意外と斜橋なのであります。
高欄は簡素と云ひますか、見ての通りであります。呵呵
併し、右手のあぶない!の看板、犬か何か動物の繪柄が可愛らしく描かれてゐるのでありますが、一瞬チエ・ゲバラかと見間違て仕舞ました。 |
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右岸側の親柱を見て居りますが、橋臺側に作られてゐるのでは無く、桁の上だと云ふのが分りました。
さう、少しずつ縣道の工事が進んで居ります。
唯、此先、正直自分で開通後に通るかと云はれますと、多分通りはし無いと思ひます。
理由は云はずもがな、でありますよね。 |
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横から見ますと、多分之はボツクスカルバアトでありますかね、何か高欄とか親柱とか納得と云ふ感じであります。
して、竣功年でありますが、近くの水路隧道の扁額に答へを求めた處、昭和卅八年十二月竣功でありましたし、航空冩眞で見ても、其で間違無いと思ひます。
唯、其時に新設された橋なのかと思ひきや、昭和廿二年の航空冩眞でも此場所に架橋されてゐたのを確認出來ますので、道自體、橋自體は手荒く以前から在る樣であります。
其と、何故に清水橋と云ふ名前を書いたかと云ひますと、新道の方の橋に"新清水橋"と書かれてゐた爲、だつたら此方は清水橋だらうと云ふ事で、であります。
まあ、間違つてゐるかも知れませんが、多分其で合つてゐると思はれますのでさう表記致した次第であります。
以上、御附合有難う御坐いました。 |