2673年 5月 28日 探訪
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五行川との合流部直前、井沼川の最下流部に在る橋であります。 一見しますと一キロ程上流に架る名稱不明橋とは高欄が違ふだけの樣な印象でありますが、近附て見ますと銘板が附てゐる事に氣附きました。 と云ふ事は、單に地域を結ぶたげの橋では無いと云ふ事でせうか。 |
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幅員も違ひますし、正面から見ますと、何方かと云ふと井沼橋に近い姿だと云ふ印象でせうか。 では此方左岸側から見て行きます。 |
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昭和三十年三月竣工。 成程、此方の方が井沼橋依り二年程古いのでありますね。 併し戰後十年と云ふのが感慨深いであります。 否、別に田植ゑ時期の灌漑用水と掛てゐる譯では御坐いませんよ。 |
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あずまはし。 成程、不濁に「はし」なのでありますね。 而も「づ」では無く「ず」なのが現代的であります。 併し濁りが丸二つと云ふのが可愛いらしいであります。 |
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高欄は鐵管を上下二本使つた型でありますね。 而も斯う云ふ型の初期の頃の爲でせうか、柱も鐵管も細いと云ふ印象であります。 其と、結構補修されてゐるのが痛々しいであります。 では右岸側へ移動致します。 |
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因に、下から見ました處、主桁が三本の混凝土T字桁でありました。 如何にも昭和卅年代らしい素敵な姿であります。 |
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井沼川。 何と、"井"沼川でありますか。 と云ふ事は、文挾に在る 【江沼橋】 は戰前物件確定と云ふ事で良いのでありますかね。 等と思ひ念の爲古い地圖を確認して見たのでありますが、明治時代でも戰前昭和でも"井"沼川と云ふ表記でありました。 之は如何捉へるべきなのでせう。 まあ多分、何方かが誤字、若しくは矢張何かの變遷が在つたと云ふ事なのでせうか。 併し親柱の破壞度合が凄いであります。 二枚目、五枚目の冩眞でも御分りの通り、ずつと欄干の柱の上も何かが擦て破壞してゐる痕が在る譯でありますので、一體何が如何云ふ事に成つたのか、一寸氣に成つて仕舞ひます。 何時の時代でもでありますが、大事無ければ良いのでありますが。 |
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東橋。 如何云つた理由で東橋と命名されたのでせう。 此地域の東端近くだつたりしたからでせうか。 其と、如何して此處の橋には銘板が附てゐるのかと思つたのでありますが、如何やらずうつと以前から在る道筋の橋だからなのかも知れません。 と成りますと、此方は何代目の橋に成るのでせうかね。 |
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さう云へば、此方も親柱が獨立してゐ無い橋でありました。 何か頼り無ささうな欄干の取附具合と思つて仕舞ますが、今迄ずうつと無事だつたのでありますから、之で問題無いと云ふ事でありますね。 まあ、長閑な良い時代の良い物件が見られました。 未だ"井"と"江"が解決出來無い儘でありますが。 以上、御附合有難う御坐いました。 |