2673年 5月 28日 探訪
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此方は冷子川と井沼川の合流點から百五十米強程下つた處に位置する橋であります。 其姿は 【高根澤町太田 名稱不明橋【一】】 に似てゐる感じなのでありますが、扨、實際の處は如何なのか、此方右岸側から見て行きませう。 |
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殘念乍此方も橋の前後の道が消失して居りますが、元々は昭和五十年代後半頃迄はちやんと道が通じてゐた樣であります。 其がきつとアレでせうね、圃場整備で道も田圃も樣變りし、橋だけが其儘殘されたと云ふ形なのだと思はれます。 併し可愛らしい親柱であります。 當然の樣に、銘版は四本共に附て居りませんでした。 |
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桁は多分、T字桁と云ふ形式かと思はれます。 併し此方は親柱の部分が橋臺依り張出してゐる姿でありますね。 若かしましたら、此方の方が若干新しいのでせうか。 |
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下から見ました處、矢張混凝土T字桁でありました。 【高根澤町太田 名稱不明橋【一】】 同樣、如何にも昭和卅年代らしい素敵な姿であります。 |
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高欄の意匠、細く云ふと依り簡素に成つたと云ふべきでせうか。 |
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高さは矢張輕半長程度であります。 併し之、高欄と云ふか、單に地覆の延長と云ふか、其な樣な感じであります。 |
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場所打だつたのか、何か繼目が適當と云ふか人間らしいと云ひますか、大らかな時代の作品でありますね。 因に、竣功は矢張昭和卅年代前半かなと思はれます。 |
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左岸側から右岸側の橋臺附近を見てみますと、廢止された筈の水路からの排水口でせうか、其處から水が流出して居ります。 今でも何處かと繋つてゐるのでありますかね。 併し見事に前後の道が無く成つて居りまして、是では利用頻度、利用價値も手荒く低下してゐるのでは無いかと思ふのでありますが、 其でも撤去せずに殘されてゐるのは、却つて無駄な費用が掛るから、と云ふ事なのでせうか。 でもまあ、のんびりと過すには良い橋かも知れません。 以上、御附合有難う御坐いました。 |