2673年 4月 16日 探訪
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此方は
【高根澤町太田 五領橋】
から百米程東側、井沼川に架る井沼橋であります。 現在の栃木縣道三四一號線が出來る迄は、此方の橋を渡つてから左に折るのが主要な通りだつた樣でありますが、現在では右に折るのが主要な流れに變化して居り、 其方が栃木縣道一七六號線と成つてゐる樣であります。 さうして、交通量の増加から狹窄線形の改良と共に、横に新橋の建設と相成つてゐる樣子であります。 架替か、若くは歩道橋として生き長らへるのか分りませんので、不取敢現役時代を冩眞に收めて措かうと思ひ、遣つて來た次第であります。 では右岸側から見て行きます。 |
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井沼川。 あ、親柱の方で、であります。 玉石積の護岸が素敵であります。 斯うして見ますと、護岸も下側の方は垂直に立つて井まして、其上から傾斜する樣に成つてゐるのでありますね。 |
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因に、排水桝は結構大きい鑄物であります。 舖裝では無く、元々の路盤はきつと混凝土だつた事でせう。 |
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井沼橋。 まあ特徴は別段無いであります。 |
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高欄は如何にも橋と云ふ感じの混凝土管を二本使つた意匠であります。 欄干の柱も親柱が兼用してゐる型では無く、きちんと分れて居りますし、桁毎に獨立してゐる樣であります。 |
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若干斜に架橋されて居りますので、路盤と地覆の分割具合は斯樣な感じであります。 何か川と云ふ依り用水と云ひますか人工河川の樣であります。 では左岸側へ移動致します。 |
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昭和三十二年三月竣功。 流石に五領橋と一緒でありますね。 併し護岸の違ひが鮮明であります。 |
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いぬまはし。 濁らずに「はし」であります。 |
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桁は多分混凝土T字桁だと思ひます。 併し氣が附と、斯う云ふ昭和卅年代の橋がどんどん架換られる時代に成つてゐるのでありますね。 尤も、想定してゐる交通量が遙に桁違ひに成つてゐると云ふのが要因でせうが、道や橋は擴幅はされても、時代は窮屈に成つて行く樣な氣がして仕舞ます。 以上、御附合有難う御坐いました。 |