2677年 10月 10日 探訪
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此方は
【宇都宮市福岡町 福岡中橋】
依り一キロ三百米程赤川を上つた處に架る橋であります。 まあぱつと見に普通の、何處にでも在る樣な橋でありますが、 【今市市手岡 名稱不明橋】 の樣に、と云ひますか其程の大きさでも無いのでありますが、親柱が四本揃つて居りますし、此川幅で二徑間の樣に見えますので、實際の處如何なのかと興味深々であります。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行きます。 |
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まあ當然の樣に無記名なのでありますが、如何やら此方の親柱が唯一の當時物其儘の物の樣でありますので、手荒く貴重であります。 |
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此方上流側は作直された物に成つて居ります。 別段親柱を再生し無く共問題は無かつたのでは無いかと思は無くも無いでありますが、まあ在つた方が見榮は良いでありますよね。 |
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高欄、と云ふ依りは、一寸高目の地覆だけと云ふ感じであります。 否、高目でも何でも無く、單成る地覆だけでありますかね。 橋の中間點から先が新造されてゐると云ふ事は、二徑間なのでありますかね。 では、右岸側へ移動致します。 |
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新造された親柱が眩しい位の存在感を放つて居ります。 でも多分、竣功當初は斯う云ふ綺麗な橋だつたのだらうなと思ひますと、歴史的物件の見方も變つて來る樣な感じであります。 |
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其所爲か、意匠的にも古くは見え無いと云ふのも不思議であります。 或る意味、完全に再生された古い自動車ではさう見えずに古いなと感じるのでありますがね。 嗚呼、親柱はきちんと橋臺側に作られてゐる樣であります。 |
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横から見ました處、此も混凝土T字桁で間違無いと思はれます。 と云ひますか、如何見ても二徑間と思つて居りましたのに、一徑間でありました。 てつきり、パイル形式か尖頭型の樣な橋脚が在ると思つて居りましたのに。 して、竣功年でありますが、航空冩眞を見ました處、如何やら此處の橋迄の河川改修は昭和卅六年迄には完了してゐる樣でありました。 と成りますと、福岡中橋と同年代頃、昭和卅三年か、遲く共卅六年迄には造られた物件と見て間違無いと思ひます。 まあ、もう斯う云ふ姿の橋が作られるとは思ひませんので、折角當時物の姿で修復されて居りますので、出來る限り此儘殘つてゐて欲しい物件、でありますかね。 因に、後程宇都宮市認定路線網圖で調べました處、橋名は下橋と判明致しました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |