2677年 8月 29日 探訪
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此方は
【宇都宮市柳田町 名稱不明橋】
依り四キロ半程越戸川を下つた處に架る橋であります。 まあ、何故に此方を發見出來たかと云ひますと、暇な時にぐうぐるの航空冩眞を隈無く見てゐたからであります。 して、ぱつと見に大凡の年代は判定出來さうな定番的橋でありますが、其實は如何でせうか。 不取敢此方、右岸側から見て行きます。 因に、線形に歪な部分が御坐いますのは舊道の名殘の樣であります。 |
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まあ、當然の樣に親柱は無記名状態であります。 とは云へ、親柱の上部は尖つて居りますし、其正方形的な姿から、昭和卅年代物件だらうと云ふ大凡の豫想は附かと思はれます。 否、さうでは無くて、せめて混凝土に直接でも良いので河川名、否、此處でありましたら此方には橋名でありますかな、其を彫つてゐて欲しかつたなと思ひました。 |
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此方下流側も同樣であります。 まあ、同樣に此方には河川名彫つてゐて欲しかつたと云ふのが正直な感想であります。 して、如何やら親柱はちやんと橋臺側に在る樣でありまして、其點は素晴しい出來かと思ひます。 |
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高欄は鐵管を二本使用致しました、良い意味で如何にも何處にでも在りさうな意匠であります。 因に、堰は昭和末期から平成初期の頃邊迄に出來た物の樣であります。 では左岸側へ移動致します。 |
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當然の樣に無記名であります。 |
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まあ當然の樣に無記名であります。 |
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横から見ますと、混凝土T字桁の樣にも見えますが、厚味が無い事から多分牀版橋と云ふ形式では無いかなと推察致します。 して、竣功年でありますが、航空冩眞で確認致しますと、多分昭和卅九年以降昭和四一年迄に架橋された物件では無いかと思はれます。 位置的には昭和卅八年以降變更は無い樣でありますが、河川、道路共に幅員が違ふ樣に見え、昭和四一年では現在の幅員に成つてゐる樣に見受られますので。 でありますので、多分以前は木橋だつたのでは無いかと推察する次第であります。 で無いと、さうさう簡單に架替とは不成でせうから。 と云ふ事で、此は之で昭和の歴史を感じる物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |