2677年 9月 26日 探訪
![]() |
此方は
【宇都宮市徳次郎町 荒堀橋】
依り三百米程上、國道二九三號の徳次郎郵便局傍を流れる新川に架る橋とのほぼ中間點の橋であります。 上記の橋等を見た時の遣殘しと云ふのが正直な處でありますが、焦らずにじつくりと見る事が出來たと思へば、遣殘しも捨てた物では無いかなと自己辯護して措きませう。呵呵 して、ぱつと見如何にも高度經濟成長期の物件と云ふ感じでありますが、其實如何な物でせうか。 不取敢此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
![]() |
橋臺側に親柱は無く、高欄の柱を大きくして親柱を兼ると云ふ手法でありますね。 して、當然の樣に無記名であります。 |
![]() |
此方上流側も同樣であります。 斯うして見ますと、斜橋の場合の柱の立て方、其基準と成る邊は何方なのかが良く分ります。 基本的に河川側に對して揃へる、と云つた處でせうか。 併し何故に斯う云ふ部分が缺損してゐるのか、手荒く謎であります。 |
![]() |
高欄は鐵管を一本使用しました意匠であります。 人通りも餘無く、農耕車兩や自動車が主に通ると見越しての高さの高欄と云つた處でせうか。 地覆の部分も牀版側では無く、高欄側の構成部品と云ふ感じであります。 まあ其邊も斯う云ふ規格橋ならではと云ふ感じでありますね。 其では右岸側へ移動致します。 |
![]() |
此方側も同樣であります。 |
![]() |
一見、何か文字が彫つて有る樣に見えますが、汚れ的な物でありました。 |
![]() |
横から見ますと、多分之もT字桁では無く牀版橋と云ふ形式だと思ひます。 して、竣功年でありますが、航空冩眞を頼りに致しますと、多分昭和卅六年以降卅八年迄の間の竣功では無いかと云ふ感じであります。 まあ、全體の意匠、特徴等からもさう云ふ感じでありますが、遲く共昭和四九年迄には出來てゐると云ふ感じで間違無いかと思はれます。 不取敢、此儘長壽で居られる樣な物件だらうなと云ふ感じで、其内歴史的物件に成つて欲しいなと思ひました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |