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奧に見える土木學會選奬土木遺産の鬼怒橋へ向ふ百米程手前、此處にも古橋と思はれる橋が佇んで居ります。
と云つても片側しか殘つて居りませんが、舊街道の名殘ならではでせうから、見附た時の嬉しさは一入でありました。
して、片側が失はれてゐる譯でありますが、如何やら航空寫眞で判斷致しますに、左側から接續する新しい道路が出來たからなのでは無いかと推察する次第であります。
では、此方右岸側から見て行きます。 |
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殘念乍銘板は附て居りませんでした。
と云ひますか、何やら混凝土で埋られてゐるのが分るのでありますが。 |
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高欄は斯う云ふ意匠であります。
アスハルト舖裝に結構埋つてゐるであらうと思はれますが、高欄や親柱自體の低さ、洗出の表面仕上等から推察致しまして、若かしますと戰前物件でせうか。
假令新くても昭和卅年代迄の物件かと思はれますが、何か、ねえ、昭和廿二年の寫眞から道路の幅員變はつてゐ無い感じでありますし、
さう成りますと橋も同一と云ふ事でせうから、多分戰前物件で間違無いと思ふのであります。
でも、今囘の見所は其處では無く、拙も初て見た物が在つたのであります。 |
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はい此方、何と高欄控柱が附てゐるのであります。
もう之だけで此橋、拙の中では手荒く希少物件確定であります。 |
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嗚呼、もう此角度と云ひ、素敵であります。
と云ふ事は、右岸側の親柱の何か埋られた痕跡、多分に此方同樣に高欄控柱が附てゐたと云ふ事でありますかね。
如何見ても形状が高欄の其を外した樣な感じでありますし。
併し嗚呼、全てが揃つてゐた竣功當時の姿は、さぞや綺麗だつたのでせうね。 |
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之だけでは年代判定出來無いでありますが、戰後物件で之なら凄いと思ひます。
否實際、本當に高欄控柱何て初て見ましたもの。 |
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横から桁や鏡臺を寫して見ました。
矢張現在では結構舖裝が盛られてゐる樣であります。
其と、橋臺の樣子からしまして主桁は混凝土T字桁だらうと思はれますが、之感じからしまして戰前物件で間違ひ無いのかなあと思ふのでありますが、如何な物なのでせうか。
まあ不取敢、良い物を見させて戴きました。
以上、御附合有難う御坐いました。 |