2681年 2月 9日 探訪
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此方は
【小山市梁 梁橋【舊】】
依り一キロ程田川を下つた處に架る、茨城・栃木縣道二〇四號線の橋であります。 ぱつと見、一連の田川の橋同樣昭和四十年代の橋と云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸栃木縣側から見て行き度いと思ひます。 |
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田川。 親柱正面は曲面に成り、側面に銘板が附と云ふ、一寸斬新な意匠に成つて居ります。 |
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福良橋。 銘板の字體が手荒く素敵であります。 其と、高欄の柱と地覆部分の一體感が中々に素敵であります。 |
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左岸上流側の桁には橋歴板が附て居りました。 して、昭和四二年三月竣功であります。 此方の字體は中々モダアンで現代的であります。 |
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高欄は混凝土管を二本使用しました意匠であります。 柱が臺形に成つて居りますので、何か"によき"と云ふ感じであります。 |
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排水桝は地覆側であります。 では右岸側へ移動致します。 |
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田川。 年代的特徴の兩岸で對稱配置の銘晩であります。 して、流石に茨城縣側だなと思ひまし度のは、茨城縣のキロポストが在つた事であります。 參考に栃木縣側の物でありますが、 【鹽谷町大宮-上平 栃木縣道六三號線舊道】 の四枚目の冩眞で如何でせうか。 |
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福良橋。 因に、橋名は栃木縣側の地區名からでありますね。 |
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此方側の桁にも左岸側と同一の橋歴板が附て居りました。 |
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左岸側に戻り横から見ました處、三徑間の牀版橋でありました。 因に、航空冩眞を頼りに致しますと、先代橋は五徑間の物だつた樣であります。 して、同じ位置に架つて居りましたので其痕跡は分りませんでした。 路肩の混凝土片は、多分ガアドレイル以前の轉落防止柵の殘骸でせうか。 |
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其と此方、も一つの樂しみは、茨城縣側から見ます栃木縣と小山市の案内板が舊型の儘殘つてゐると云ふ事であります。 但し"白看"以降の物でありますので其程かも知れませんが、其でも少く成つて居りますので何氣に貴重かと思ひます。 まあ、さう云ふ具合で中々に樂しめた物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |