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此方は栃木縣道卅號線を北上し、内川を渡つて程無くして右折した處に架る橋であります。
まあ、ぱつと見で其也の年代の橋だらうなと思ひじつくりと見る事にしたのでありますが、其實如何でせうか。
では此方、右岸側から見て行きます。 |
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殘念乍無記名であります。
まあ、此規模の河川に此規模の道路の橋でありますから、餘程の舊來からの街道でも無い限り無記名、若くは無名の儘なのでせう。
唯、さう成りますと、大凡の年代も判明して來さうではありますが。 |
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此方も無記名であります。
まあ、斜橋具合が結構アレで親柱が菱形に成つてゐるのもアレでありますが、基本的に質實剛健な意匠であります。 |
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高欄は鐵管を二本使用しました意匠であります。
併し地覆が手荒く立派でありますし、親柱と高欄はちやんと分れてゐる姿であります。
では、左岸側へ移動致します。 |
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左岸下流側も當然の樣に無記名であります。 |
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當然上流側も、であります。 |
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横から見ますと、之は牀版橋と云ふ形式でありますね。
多分。
扨、では何時頃の物件なのだらうと航空冩眞を當りました處、昭和四四年の冩眞では現在の姿と同一の樣に確認出來ますので、昭和卅八年以降四四年迄の間に架橋された物件かと思はれます。
して、舊橋は若干下流側、輕トラを置いてゐる邊に架つてゐた樣でありますが、當然の樣に護岸は改修されて居りまして、其痕跡は皆無でありました。
まあ、何と云ふ程でも無い物件でありますが、斯う云ふ橋が次第に歴史的物件に成つて行くのでせうから、或る意味其行末を見て行き度いなと思ふ物件でありました。
以上、御附合有難う御坐いました。 |