2677年 5月 30日 2678年 5月 22日 探訪
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馬頭町富山(トミヤマ)地區を流れる富山川(トミヤマガハ)。 其處に架る橋が古い物件なのかとみて居りました處、下流側には何かが開口してゐるのを見附て仕舞ました。 一寸近附て見てみませう。 |
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川の中を歩く事、多分十數米、手荒く立派な水路隧道が在る事に驚きました。 但し扁額や直接文字が彫られてゐる等無いので、如何云つた名前の隧道なのかは不明であります。 |
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何か、作りが獨特と云ひますか、水路隧道つて皆斯うなのか、入口が大きくて、奧に行くと窄まつてゐる感じであります。 して、一寸中に入つて歩き乍觀察、と思つたのでありますが、手前部分が何氣に深さうでありましたのと、良い大人が氣輕に入つて何か有つてもアレだなと思ひ、此處迄で止て措きました。 扨、何時頃竣功した物なのかなと檢索して見たのでありますが、之が驚く程に一切何も出て來無いのであります。 其では埒が明か無いので、航空冩眞と今昔マツプで推察して見たのでありますが、昭和廿二年の冩眞の時點では既に出來て居りまして、 昭和四年や八年頃の地圖では未だ完成してゐ無いと云ふ状況でありましたから、戰前物件なのは多分間違無いだらう、と云ふ程度の事しか分りませんでした。 若も之が未改修の儘の當時の儘の姿だと致しますと、否、さうで無く共歴史的に大切な物件であらう事は間違無いでせうから、餘計な御世話かも知れませんが 【茂木町牧野-小深 木須川ノ洞門】 と同樣、と迄は云ひませんが、もつと知られても良いのでは無いかなと思つて仕舞ました。 因に、此處だけでは無く、後二本程隧道が在る樣であります。 |
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と云ふ事で、ほぼ一年振に三本全ての隧道を見ようと再訪致しました。 して、此方が最上流、一本目の隧道の入口側であります。 一番目の隧道だからか、如何にも隧道らしい造りに成つて居りまして、混凝土造乍アヽチ環風の造形が施されて居ります。 其で以て、色附されてゐるのか單に汚れなのかは不明であります。 因に、場所的には 【此方】 に成ります。 |
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出口側は至つて普通であります。 隧道自體の長さは大凡八十米程度の樣でありますので、多分四十間程度で作られたと云ふ事でせうか。 |
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一本目から大凡百六十米程下流側、此方が二本目の入口であります。 此方も立派な隧道ポオタルでありまして、向つて右側の翼壁に、之は附柱と云つて良いのでありますかね、何か、此方には施工されて居ります。 |
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出口側の隧道ポオタルには大きく罅が入つて居りました。 之は震災に起因する物なのか、其共自然に、まあ地震も自然現象と云へばさうなのでありますが、今や人工以下省略()、其で成つた物なのでせうか。 |
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して、最初に紹介した三本目の入口でありますが、此方、ぶ厚い混凝土の塊が半分以上塞いでゐる状態に成つてゐるのでありますが、 之は増水時に或る程度水勢を抑へる爲に設けられてゐるのでせうか。 |
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三本目の内部であります。 如何にも戰前物件らしい細い型枠の跡が手荒く素敵であります。 其と、多分八十年近く經つてゐるとは思へ無い程、手荒く綺麗な状態だなと云ふ印象であります。 |
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三本目の出口は近附て見ても良く分りませんでした。 でありますので道路との位置關係的に之な物だと云ふ感じで撮つたのでありますが、ぱつと見も良く分ら無いでありますね。呵呵 まあ、斯う云ふ具合に誰も氣附無い儘に埋れてゐる樣な感じなのでありますが、歴史にも埋れて仕舞のは勿體無いと思ひ、出來る限り撮影して見た次第であります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |