2683年 2月 20日 探訪
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此方は
【氏家町向河原-上河内村下小倉 氏家大橋】
依り右岸側の堤防を二キロ程上つた所、東北新幹線の高架から三百米程南側の、多分根川と云ふ表記なので單成る用水では無く根川で良いのでせうね、の水路隧道であります。 もうぱつと見に石造なので結構年代物隧道かと思はれますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方上流側から見て行き度いと思ひます。 |
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改て正面から。 手荒く立派な石積の拱環であります。 普通石造なら壁面も石積だと思ふのでありますが、此方は混凝土に成つて居ります。 若かしますと後年に成り改修されてゐるのでせうか。 何か拱環部分も縱に削られてアンカアボルトが打たれて居りますから、水門でも附てゐたのかも知れません。 |
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別角度から。 内部は混凝土卷立等で補強されてゐる譯でも無く、石積の原型の儘の樣であります。 |
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此要石の縱溝、裝飾では無く矢張水門と云ふか堰と云ふか、さう云ふ具合に使はれてゐた時の名殘でせうか。 |
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さうして、傍には意味有氣に置かれた切出した石や混凝土板が御坐います。 |
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内部を見ますと、一應モルタアで目地は埋めてゐる樣であります。 |
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下流側。 此方はほゞ原型だと致しますと、元から壁面は混凝土製だつたのかも知れません。 |
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要石に縱溝も無いでありますしね。 扠、竣功年でありますが、當然の如く資料はネツト上では見當ら無かつたので航空冩眞を參考に致しますが、昭和十六年の冩眞でも何と無く在ると分りますので、其以前、 確か鬼怒川の堤防工事が最初に行はれたのが大正時代でありますので、多分竣功は大正時代で間違無いのでは無いでせうか、此水路隧道。 まあ、結構年配の人に訊いても此方の存在を知つてゐる人は居無かつたので、誰も注目してゐ無いのでせう。 其が偶々ストリイトビウで發見出來、斯うして冩眞に收める事が出來て手荒く滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |