2679年 10月 21日 探訪
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此方は
【眞岡市荒町 國鐡眞岡線第四眞岡橋梁】
依り益子方面に三百米程行つた處に架る、所謂避溢橋の第五眞岡橋梁であります。 當然開業當初からの物でありまして、且つ御覽の樣に眞岡線では最大の避溢橋であります。 と云ひますか、此だけ立派な避溢橋と云ふのも餘見掛無いのでは無いでせうか。 多分栃木縣内の鐵道でも屈指の規模では無いかと思ひます。 と云ひ乍前囘では其存在を知ら無い、氣附無かつたのでアレでありますがね。呵呵 と云ふ事で右手、眞岡側から見て行き度いと思ひます。 |
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混凝土に依る補修を受てゐ無い、見事に當時の儘の姿の橋臺だと思はれます。 唯、眞岡線の橋梁は斯樣な姿の儘で現存してゐる處が多いので、五行川、小貝川橋梁だけが特別と云ふ譯でも無い樣な、 と云ひますか、彼等は主桁の經緯が特別アレと云ふのでアレなのでせうけれどね。 でありますから拙が斯う云ふ物件を取上る譯でありますが。 |
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塗裝記録が書かれて居りましたが、最早ほゞ判讀不能であります。 では何故第五橋梁とし度のかと云ひますと、眞岡線の起點と終點を調べて考へまして、だつたら第四の隣で益子側なので第五だらうと判斷したからであります。 若かして間違つてゐるかも知れませんが、其時は御教へ戴けますと幸甚であります。 |
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反對側、若干の缺損と翼壁上部の石が消失して居りますが、機能に問題無い程度なのでせう。 まさか煉瓦好事家が拜借し度譯では無い、でせうね。呵呵 |
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四徑間の鐵橋であります。 さう、何か鐵道橋梁つて鐵橋と云ひ度いのであります。 間違無く唱歌の影響であります。 |
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舟形の橋脚は第四同樣混凝土で補修されて居ります。 因に、臺風直後でありましたので下は未だ或る程度水が殘つて居りました。 きつと避溢橋の機能が大いに役立つたのでせう。 嗚呼、勿論拙は愛用の長靴でありますので無問題でありますが、足首邊迄の水深は御坐いました。 |
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反對側も同樣に補修されて居ります。 |
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此方の特徴的な桁の終端部と支承。 |
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益子側の橋臺も原型の儘であります。 |
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翼壁の石の風合が中々に良い雰圍氣であります。 |
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桁の内側。 此方も避溢橋好きには堪ら無い物件なのでは無いでせうか。 して、一寸した願望でありますが、竣功當初の色合で補修塗裝されゝば、依り一層蒸氣機關車が走る時に引立つのでは無いかなと思は無くも無いであります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |