2672年 1月 31日 2675年 12月 8日 探訪
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【其三】からの續きであります。 【現在地】 順調に西鬼怒川側迄築堤が續いてゐるかと思ひきや、突如として途切て仕舞ます。 |
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此處に川が流れてゐたと云ふ譯でも無いのは、橋臺が無いから至極當然なのでせうが、之は何か土地の再利用の爲に築堤が崩されたと見て間違無いと云ふ事でせうか。 とは云へ、今では斯樣に荒地と成つて居りまして、或る意味強者共が何とやらと云ふ感じであります。 嗚呼、蛻の殼と成りました蜜蜂の巣箱は何個か打捨られて居りました。 |
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して歩く事數十米、再び築堤が始ります。 |
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併し、之で樹齢何れ位に成るのでせうか。 |
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すると、何と築堤上に三角點が御坐いました。 何等だつたか、將又生きてゐる物なのかは確認出來ませんでした。 |
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【現在地】 程無くして築堤は終り、西鬼怒川左岸側の橋臺が現れます。 此方は損傷が激しく、辛うじて殘つてゐると云つた状態であります。 まあでも、之が在つたからこそ大凡の邊の藪を覗いて發見出來たと云ふ譯であります。 |
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近くの運動公園では、斯う云ふ具合に西鬼怒川の堤防が殘つてゐるのが分る處が御坐いますが、昭和廿二年の航空冩眞を見る限り、
本當に堤防の役目をしてゐたのか手荒く疑問な状態でありました。 多分、明治時代には有用だつた、若くは鐵道の爲に建設したとか、さう云つた類の物だつたのでせうか。 |
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最初は、此處の何處かに橋臺跡が在ると信じて、隈無く藪の中よ覗いて見たのであります。 して、先程の橋臺跡の冩眞を見て戴くと分るのでありますが、此堤防依りも鐵道用地は一段高く成つてゐた樣であります。 併し、此冩眞では何處を目標にして良いのか、全く分ら無いでありますね。呵呵 |
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【現在地】 次は此方、一番状態が良い儘殘つてゐるであらう橋臺跡であります。 |
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少し道を登つて確認致しましたが、成程、之は見甲斐が有りさうであります。 【其五】に續く。 |