2675年 12月 8日 探訪
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【其四】からの續きであります。 【現在地】 其ではさくつと遣つて行きませう。 此方は橋臺跡を通り越してから振返つて見て居ります。 右が矢板側、左が宇都宮側の橋臺であります。 御覽の樣に手荒く良い状態の儘殘つて居りまして、廿一世紀に成つてから、下を流れる小川が斯樣に整備された樣でありますが、 其迄はほぼ當時の儘の姿を殘してゐたと云ふ事では無いでせうか。 出來ますれば、誰にも見向もされず放置された儘の頃の姿を見てみたかつたと思ふのでありますが、其は勿論後の祭でありますから贅澤を云ふのは止て措きませう。 |
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では先づ矢板側の橋臺からであります。 手前側の翼壁の前には竹が生茂つて居りますが、其を除けば橋臺本體は痛んでゐる樣には見受られません。 |
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竹薮を覗けば、翼壁もしつかりしてゐるのが分りますし。 |
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勿論、反對側の翼壁もしつかり殘つて居ります。 |
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勿論、煉瓦の切込もしつかりと、ほぼ原型を留てゐると見て良いのでは無いでせうか。 して、此處にはぴたりと角材が入つてゐたのでせうか。 假令木橋では無かつたとしましても、頬杖橋と云ふ形式なのは間違無いと思ひますので、さう成りますと、鐵橋だつた場合にはH鋼で頬杖橋が組まれてゐたのでせうか。 |
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全體的に良い状態だとは云へ、上部の石は之一つしか殘つて居りませんでした。 |
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宇都宮側は依り一層完璧な状態でありますね。 |
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煉瓦つて植物に對しましては、混凝土依りも強いのでせうか。 |
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此方は上部の石も結構殘つて居ります。 併し之、橋臺が殘つて居りますからアレでありますが、其依りも手前、神社の前の道つて何の樣に拔てゐたのでせう。 まさか線路と同じ高さ迄道を嵩上して踏切にしてゐたとは考へ難いので、若かしますと煉瓦積の綺麗な暗渠だつたのでせうか。 でありましたら、若かしますと栃木縣で見られるねじりまんぽだつたと云ふ可能性も無きにしも非ずだつたのかなと思ひますと、 道路部分が失はれて仕舞つてゐるのが些か勿體無かつた樣な氣がし無いでも無いと云ふ感じであります。 |
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【現在地】 少し宇都宮方面に移動してから橋臺側を見てゐるのでありますが、當時の線路位置的な物は殘つて居らず、土地も隨分と嵩上されてゐる樣に見受られます。 【其六】に續く。 |