2673年 5月 14日 探訪
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【現在地】 皇紀二六五〇年代(西暦1990年代)末期に現在のバイパスが出來る迄は、此處から左に折れる道が栃木縣道十號線でありました。 處が、地域の發展と共に交通量が増加しましたので、現在のバイパスが出來て舊道落ちし、現在に至ると云ふ處であります。 今思へば、彼の頃は活氣漲る良い時代でありましたね。 と云ふ事で、嘗ての街道筋を見て行く事に致します。 勿論此處から左手に折て行くのが舊道なのでありますが、現在では交叉點は直交が基本の樣でありますので、御覽の樣に改修されて居ります。 |
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此方の道が開通しましたのは昭和卅年頃であります。 比較的新しいのでありますが、其にて想像に難く無い樣に、さう云ふ事であるのであります。 |
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併し此歩道も無い長閑な道が、良くぞまあホンダや麒麟麥酒、宇都宮方面へ通勤する人々を支へたものだと感心致します。 でありますからこそ今のバイパスが出來たのでありますが。 此先、太田堀を渡河するのでありますが、其は此方 【太田堀橋】であります。 |
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然し今囘の主役は此方であります。 【現在地】 先程の交叉點のほんの少し先、此方が本來の道筋であり、彼の交叉點からの道も此方に對するバイパスなのであります。 今では現道との高低差が出來て仕舞ひ、本來の部分は階段で結ばれると云ふ具合でありますが、直ぐ傍に取附道路が作られまして、通行は確保されてゐる樣であります。 |
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曲がつて直ぐに太田堀を素敵な橋で渡ります。 其は此方、 【太田堀橋(舊)】であります。 渡つて直ぐ、正面に見えてゐる家の横にも元々は道が在つた樣でありますが、今では消失して居りました。 併し此邊りは比較的廣い幅員が確保されてゐる樣であります。 |
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太田堀橋を渡つた後の幅員は1.5車線程度に狹く成つて居りまして、是では車の擦違ひは難しいと思はれます。 と云ふか、多分無理であります。 併し電柱が立つてゐるのが本来の道筋と云ふ、何依りの証拠でありますね。 |
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尤も、今では地元の方しか通ら無いのでせうから十分なのかも知れませんが。 と云つてゐる間に舊バイパスとの合流であります。 |
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とは云へ、此合流のし方では何方が本來の道筋なのか分り辛い感じであります。 間違ひ無く、舊バイパスが出來た時に擴幅もされてゐるからだと思ふのでありますが。 |
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振返つて見ると斯う云ふ具合であります。 併し斯うして見ますと電柱は便利でありますね。 道筋の判斷に迷つた時は電柱を見るのが確實、と云ふ感じでありますから。 振返り序でに云ひますと、幅員的な事と曲角の曲率の關係から此方のバイパスが作られたのも納得と云ふ感じであります。 モオタリゼイシヨンの時代に突入してゐたのでせうから。 |
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では、熟田地區へ向て進みます。 舊々道との合流地點から先、右側に歩道が出來て居りました。 【其二】 に續く。 |