2673年 5月 14日 探訪
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【其一】からの續きであります。 【現在地】 新舊二本の太田堀の橋を滿喫致しましたので、先に進みます。 因に歩道でありますが、隨分と後年、平成前後の頃に成つてから側溝に蓋をする形で設けられた樣であります。 |
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仁井田驛前近くへ遣つて來ました。 多分烏山線の開業で大きく發展した來たのだと思はれます。 唯、不思議でありますのは地區名と驛名は「仁井田」に成つてゐるのに、郵便局は「熟田」の儘なのであります。 中々にハイカラ且つモダアンな建物が目を樂しませて呉れました。 |
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街竝の途中で道が折てゐるのも舊街道らしくて良い雰圍氣であります。 |
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栃木縣道二二五號線との交叉點の青看であります。 と云つても、今では現道との分岐から此處迄は栃木縣道二二五號線に成つてゐるのでありますが。 多分舊來からの表記でありますと、 ↑烏山 13km ←氏家 ・・・あれ、何キロだつたのだらう。 二二五號線もバイパスを作つた關係で距離が變つてゐるのでせうか。 |
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熟田地區を過ぎた邊りで江沼川を渡ります。 橋の紹介は此方 【江沼橋】であります。 此「江沼川」から「井沼川」への變更も何なのでせうか。 時代と云ふだけでは説明附か無いと思ふのでありますが。 |
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現道の山越え部分が出來る迄は、暫定的に此處で舊道に合流してゐました。 右手からの道がさうであります。 |
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此處からが鴻野山へ向ての峠越えと成りますが、此處で舊々道は左に折れて進みます。 因に、此方のバイパス部分は昭和四十年代半ば頃に出來た樣でありますが、舊々道との高低差の埋め方が豪快な感じであります。 併し、もう縣道指定外れた區間でありますのに、當時の儘の青看が貴重で素晴らしいであります。 今でありましら「烏山」では無く「那須烏山」と成る筈でせうに。 後、御寺の案内板で一番下の標識が見え無い儘なのでありますが、まあ大した問題では無いのだらうと思ひます。 して、登り乍市ノ堀用水を渡るのでありますが、其橋は此方 【本郷橋】であります。 |
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本郷橋の上から望む現道であります。 まあ本當に、ほぼ一直線で此處迄來るのでありますが、此構造でありますから冬場は或る意味高根澤スケエトリンクでは無いかと思ひます。 事實、事故で結構アレな事案が有つた事でありますしね。 まあ御無事で何依りでありました。 |
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不取敢舊道側でありますが、緩やかな曲線を描きつつ登ります。 一昔前の地圖を見ますと、どうやら當初の計畫では此切通しの邊りにバイパスが接續する豫定だつた樣であります。 |
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と云ふ事で、次は旧々道を進むと致しませう。 此邊り、側溝の蓋が如何にも舊規格と云ふ感じて素敵であります。 【其三】 に續く。 |