2673年 3月 12日 探訪
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【其四】からの續きであります。 【現在地】 此方は勿論右手、直進であります。 |
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途端に半分程の幅員に成るのでありますが、其でも擴幅はされてゐるのだと思ひます。 多分、左手の部分が擴幅された部分で、此幅員で昭和五十年代中頃迄現役だつた樣であります。 |
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其直ぐ左手、分岐點の傍には石碑や御地藏樣が在りました。 斯う云ふ處が舊街道と云ふ感じで素敵であります。 因に、石碑は耕地整理記念で大正六年五月卅一日建立、墓石の樣な物は大正十年二月二十日、半分程に折て仕舞つてゐる物は明治廿三年の建立でありました。 |
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長閑な佇ひの道をのんびりと進みますと、如何にも古風な橋が現れました。 橋の詳細は 【此方】であります。 |
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此自然に折れてゐる線形等、良い雰圍氣であります。 |
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左手、斯う云ふ丁字路の突當り部分つて、可也の頻度で碎けた混凝土塊團と云ふのか石が在る場合つて多いぢや無いですか。 でもふと思ふのでありますが、之つて元々は一つの構造物だつたのに、誰かが自動車か何かで體當り勝負して、斯う云ふ粉碎した状態に成つてゐるのでありますかね。 |
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其先、集落内にしては珍しく直線であります。 |
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程無くして栃木縣道一一八號線(廣域農道グリインライン(本音では本田道路))との交叉點であります。 此方一一八號線、所謂祖母井街道も結構部分部分に色々殘つて居りますので、其内辿り度いと思つて居ります。 併し左の白い柱は元々何だつたのでせうか。 【其六】に續く。 |