2673年 11月 19日 2674年 6月 2日 探訪
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【其四】からの續きであります。 【現在地】 して、合流地點から百米程進みました處で元祖道は左に折るのでありますが、今見えてゐる横斷歩道の所の細い路地なのか、 直先に見えてゐる黒い建物の邊を入るのか、如何にも確實に改修されてゐるらしく、何方にも今一歩此處だと云へる確證が得られ無いのであります。 地圖の誤差も有りますでせうしね。 |
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して、横斷歩道の處から左手を見た眺めであります。 現地に來て、最初は此方がさうなのかな共思つたのでありますが、如何やら此方は元々からの里道の樣であります。 嗚呼、此方多分元々の幅員は舖裝されてゐる部分だけだつたのでは無いでせうか。 境界云々の經緯が如何で斯うなのかとかは分りませんが。 |
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して、一本南側の此方でありますが、白地に新興住宅街の道でありますが、略地圖上の當時の位置に近い共云へる位置であらうと思はれます。 尤も、元祖の道筋は疾の昔に消失して居りまして、此處等一帶が住宅街に成る迄は、何か工場の敷地に成つてゐた樣でありますし。 |
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まあ、不取敢消失と云ふ事で、里道を東進した處から再開であります。 此處、左手の川は山際を進んでゐた時に平行して居りました西川であります。 多分、元々の道形は左半分だけでせうね。 |
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併しまあ、此景色では此處が元々の街道筋だと云ふ事、誰も信じられ無いでせうね。呵呵 して、勿論元々の道形は左半分だけだつた事でせう、多分。 |
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さうして、舊道に合流であります。 線形的には此儘變はらずの樣であります。 まあ此處迄、隨分と曲々してゐる道で馬車等が通行するにもアレだなあと云ふ印象でありますが、多分、此田原街道の主要な目的は、 上河内村迄の人の通行なのでは無いかと思ひます。 |
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上河内村界隈からの物流は、元々西鬼怒川や御用川が擔つてゐたのでありますから、さう成りますと道的には物流を餘り意識し無い作りでも問題無かつたのでは無いでせうか。 其が富國強兵の世に成り、機械化輸送の時代に成つて來ますと、現在の樣な自動車交通を考へた線形に變化して來てゐると云ふ事なのかも知れません。 多分。 |
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【現在地】 バイパス共合流し、豐里中央小學校を過ぎた邊から斜に現道の一本東側邊に向ふのでありますが、何の邊から寫眞を撮らうか惱んで居りまして、 斯う云ふ何が云ひ度いのか分ら無い寫眞に成つて仕舞ひました。 多分、今居る邊の位置から、眞正面に見える青い柵の邊に向ふのが舊々道の道筋、と云へば良いのでありますかね。 不取敢見事に消失してゐるのでありますが。 |
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して、柵の方へ來ました。 嗚呼、此方は如何にもと云ふ感じで殘つてゐて呉れまして、ほつと一安心であります。 |
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自然に餘り逆は無い良い線形、素敵な折具合であります。 |
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でありますが、ねえ。 十中八九此儘直進だと思ふのでありますが、此雰圍氣ではねえ、多分私有地でありますよね。 流石に無斷で進入するのは色々とアレでありますので、左手に迂囘致します。 |
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と云ふ事で、私有地と思しき處を迂回して來ました。 眼前の國道一一九號を横断する處迄は原型を留てゐる樣でもあります。 【其六】に續く。 |