2673年 11月 19日 探訪
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【其三】からの續きであります。 【現在地】 して、不取敢昭和の新道を進みます。 因に、戰後GHQが作成した地圖にはTawara Highwayと表記されて居りまして、成程、日本で云ふ處の高速道路とは亦違ひ、 街道の事自體米英ではHighwayと云ふのかと感心した次第でありました。 まあ、舊來の街道と違ひ此幅員で眞直でありましたら、然も在りなむとは思ひます、實際。 |
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斯う云ふ道路事業、大抵が紀元節前後なのでありますかね。 |
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先に見える信號機附の交叉點迄が栃木縣道七三號線との重複區間でありまして、其交叉點から先が今や完全に舊道區間の始まりであります。 |
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其下田原交叉點を過ぎました。 |
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と云つても未だ交通量は然程變りは御坐いません。 寫眞では一臺も冩つては居りませんが。 |
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併し此邊も元々道が無かつた場所、と云ふ譯でも無く、云はば市町村道の類だつたのを改修して、田原街道の新路線とした樣であります。 でありますので、所々道幅が一定では無い部分も在る、と云ふ事なのかも知れません。 |
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其にしましても狹い。 塀が倒れてゐるのはずつと以前からの樣でありますが、多分に交通禍では無いかと推察致します。 |
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左手に廣い部分が御坐いますが、斯う云ふ部分が、きつと古の思ひ出の場所なのでせう。 多分。 |
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交通量が少く成れば、適度に曲つて居りますので、自動車でのんびり走ればきつと氣持ち良い道だと思ひます。 拙は斯う云ふ線形、好きでありますから。 |
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併しまあ、ほぼずうつと何方かには結構な堀が道に添つて流れてゐるのでありますね。 流石街道筋と云ひますか、ええ。 |
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右手、舊線形の名殘の部分かと思はれます。 併しまあ、何と云ひますか、塀がアレな家が多いのが矢張と云ひますかね、ええ。 【其五】に續く。 |