2674年 3月 3日 2675年 6月 2日 探訪
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【現在地】 前囘の此方、 【宇都宮市石井町-鐺山町 國道一二三號舊道】 で 鬼怒橋も撮つた事でありますし、此所迄來たのなら、歸りは陸軍航空廠線跡でも通つて歸るかと思ひ國道を素直に進んだ時、ふと之つて舊道ぢや無いのかと思ひ、 此方から航空廠線跡に向ひました。 して、何氣無く寫眞を撮つて居りまして、歸宅後に調べました處、實質的に舊々道だつた(現道の多車線化以前を舊道と捉へた場合)と云ふ譯であります。 所謂、本來の水戸北街道と云ふ事でありますね。 と云ふ事で、今囘は後日に辿つた市貝町赤羽迄を區切としまして、國道一二三號の前身に當る道を辿つて行かうと云ふ譯であります。 では、不取敢參りますか。 |
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まあ、斯う云ふ具合に段丘を登つて行く譯であります。 |
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神社に聳る木、樹齢何年程なのでせうか。 斯う云ふ神社が在る當り、流石街道筋だと思ひます。 |
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勾配的には緩かでありますので、馬車等の往來を考へた道だと思ひます。 でありますが、多分、元々此邊は田圃とほぼ同じ位の高さだつたのでは無いでせうか。 |
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して、斯う云ふ微妙な折具合が、きつと段丘の際に添つた形だつたのだらうと想像致します。 |
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でも、段々と自轉車では登るの辛く成つて來ました。 |
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嗚呼、此邊は登るの一寸嚴しいでありますよ。 |
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何とか陸軍航空廠線跡迄登り切りました。 さう、道が二本平行して在るのでありますが、手前側が陸軍航空廠線跡であります。 但し、此處が元々は踏切で、軍用列車が通つてゐた何て今では想像だに出來ません。 其に間違ひ無く周りは生繁つた森だつたでせうし。 と云ひますか、此眼前が陸軍の祕密の航空基地だつたのでありますよねえ。 嗚呼、以下省略。 |
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【現在地】 と云ふ事で、初囘探訪字は時間の都合で此處迄で一旦終ひにしたのでありますが、何だ彼だで一年と三箇月經ちましたが、此處から再開であります。 まあ不取敢細かい事は措いといて、舊々道を進む事に致しませう。 して、此方、一見し無く共如何見ても斜に進む歩道部分でありますが、此方が水戸北街道の痕跡であります。 で以て、之が多分當時の道幅とほぼ一緒では無いのかと云ふ程の幅員であります。 |
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其で一寸疑問なのでありますが、此處つて自動車の通行は如何成つてゐるのでせう。 不取敢、何の規制標識も無いのでありますよね。 |
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はい、で以て寸斷されて終了であります。 水戸北街道は此處清原村に陸軍が飛行場を作つた爲に寸斷され、現在の道筋に變更されたのでありました。 まあ詳しい話はネツトで調べれば色々と出て來ますが、昭和十四年頃迄は此道形の原型を保つてゐたと云ふ事であります。 と云ひましても航空寫眞で確認しますに、陸軍時代には敷地内に殘る元の道筋も其也に施設の往來に利用してゐた樣であります。 其が今や住宅で寸斷されて跡形も無いのでありますから、まあ何と云ひませうか、ええ。 普段當り前過ぎて何も感じ無いでありますが、平和つて尊いのであります。 |
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【現在地】 して、復活した先に來ました。 此處からは元の線形が殘つて居ります。 でありますが、此幅員は如何見ても廣過ぎますので、戰後、ぢや無い、工業團地への整備の時に擴幅されたのだと思はれます。 其にしましても、如何云ふ舗装の改修と云ふか修繕をしてゐるのでせう。 と云ひますか、多分何處かが舗装化後の原型部分だとは思ふのでありますが。 【其二】に續く。 |