2675年 6月 2日 探訪
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【其三】からの續きであります。 【現在地】 して、敷地に入ら無い所迄行つてから再開であります。 でありますが、何か思ひ切り私道の樣な雰圍氣でありますね。 之でも元々街道なのでありますが。 因に、現在の線形に成つたは戰前であります。 昭和十五年の地圖では既に現在の線形が確認出來て居ります。 |
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して、合流地點でありますが、此處も隨分と違く成つてゐる事でせう。 |
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【現在地】 此方は舊線形の殘骸部分であります。 |
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すつかり面影は無いなあと思つて居りましたら、部分的に殘つて居りました。 意外と路盤、盛られてゐるのでありますね、現道。 |
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消し切れてゐ無い中央線が當時を偲ばせます。 |
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【現在地】 では交叉點を右折して舊道へ進みます。 地圖つて面白いのは、何故か乘合バスの路線つて舊線形で描かれてゐる事が多いのでありますよね。 何故なのでせう。 |
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舊水橋村の中心地に入りました。 標識を見ますと、一寸此寫眞では見辛いでありますが、縣道一五六號線主體で書かれてゐるのみであります。 もう國道では無く町道に成つてゐる、と云ふ事なのでありますかね。 |
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【現在地】 では、以前に紹介しました 【開運橋】 を渡りまして先に進みます。 何か此處は橋の爲の傾斜も含め交叉點が煩雜な印象でありますが、以前は野元川の幅も狹く、も少し餘裕の有る線形だつた樣でありますが、 災害豫防の觀點からは斯う成つても仕方が無いのかなと云ふ印象であります。 因に、開運橋でありますが、今囘も歴とした事は分らず仕舞ひでありました。 唯、以前に水害云々書きました事と、有名處の方がと或る探索でリンクして居りました橋梁史年表を參考に致しました處、何處の開運橋かは不明なのでありましたが、 統合して考へると、多分此處の竣功が昭和四二年と考へて良いのかなあと思ふ次第でありました。 で無ければ、昭和卅年代後半の儘で間違ひ無いと思ふのでありますが、實際の處は如何なのでありますかね。 |
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渡河後の西水沼交叉點であります。 三方向に分岐致しますが、舊道は眞中であります。 併し今では左手の縣道一五六號線の方が主要な樣に交叉點が改修されてゐる樣であります。 まあ、奧の青看の方に新道が出來て仕舞ましたから、ね。 |
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中央線の扱ひ具合が何共寂しいであります。 因に、此方の線形に成つてゐるのは、昭和十五年の地圖では確認出來ました。 何度か擴幅はされてゐるのでせうが、街道らしい堂々たる線形では有りませんか。 |
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眞直現道には行け無い樣にされて居ります。 |
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路盤の痛みも其儘に。 後何年で草生す樣に成るのでせうか。 【其五】に續く。 |