2673年 8月 27日 探訪
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【其三】からの續きであります。 【現在地】 |
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此處は元の線形でありますね。 |
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栃木縣道卅號線のバイパス化工事が進められて居りました。 國道四號舊道其儘としての姿を見られる日も後僅かと云ふ事でありますね。 |
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此處内川橋は廿年程前に架替られました。 他にもつと古い線形を思はせる小路も在つたりするのでありますが、まあ、細かい事は氣にし無い樣に致します。 まあ、後日元々の線形だつた部分と氣附たのでありますが。 |
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現在の橋とは角度が違かつた事を物語る舊線形跡。 併し、どんなに線形改良して曲率を緩くしても(例へほぼ直線状態でも)中央線食出す人は必ず食出すのでありますよね。 抑々運轉に不向な、自制心の缺落してゐる人達でありますもの。 其速度で其車線内を曲る事が出來無いのならば減速すれば良いのに、其が出來無い人々の爲に道路直す必要つて有るのでせうか。 併し何と云ふ意匠の親柱でせう。 |
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此邊から矢板市街の始まりと云ふ感じでせうか。 左折致しますと川嵜城址が在りますし、右折致しますと木幡神社が在りまして、之が手荒く歴史の有る社なのであります。 何しろ參道は國寶重要文化財と成つて居りますし、何と桓武天皇延暦年間、延暦十四年(皇紀一四五五年、西暦七九五年)依り此地に建立されたさうでありますから。 併し、平安遷都の一年後でありますか。 魂消ました。 |
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此邊は立派な舊家が何件も屋敷を構へて居ります。 【其五】に續く。 |