2673年 8月 27日 探訪
![]() |
【其二】からの續きであります。 【現在地】 栃木縣道七四號線との交叉點であります。 此邊で初めて片岡の宿と呼んで良いのでせうか。 と云つても新陸羽街道では餘り宿場町と云ふ概念は無く成つてゐるのでせうし、事實、蒲須坂も片岡も宿場として檢索しても何も引掛ら無いのと同樣なのであります。 其も之も時代なのでありますかね。 |
![]() |
して、片岡驛前であります。 火見櫓が結構高く聳へ立つて居り、流石街中だなと感じます。 が、近年では此火見櫓が絶滅の危機ださうでありますね。 防災無線の發達云々で、と云ふ事らしいのでありますが、何と云ひますか、ええ、實際。 でも警笛を聞くと拙の場合、何故がとうしても空襲警報發令にしか聞こえ無いのでありますが以下省略。 だから深夜早朝の火事の時も微睡みつつ、嗚呼復B29が以下省略。 |
![]() |
此處は縣道一六一號線との交叉點であります。 さうして、歩道が在るのは不取敢此處迄であります。 若しかしますと、踏切が元々の幅員で、歩道は後から作られた物なのでせうか。 て、さうとしか考へられ無いでありますね、はい。 |
![]() |
おや、奧州街道踏切でありますか。 てつきり陸羽街道と書いて在るのかと思つてゐた物でありますから、一寸意外でありました。 此處も今では今の一般的な遮斷機に變更されて居りますが、元々は鐡索に注意旗が附てゐた物でありました。 併しあれ、どんどん廢れて行きますが、矢張自動車の閉込對策でなのでせうか。 確かにアレでは出られ無いでありますものね。 して、横斷して直ぐの左手から來てゐる道が、大月宿からの合圖北街道であります。 |
![]() |
此方がさうであります。 併し此處、どう見ても擦違ひ出來無い幅員にしか見え無いのでありますが、結構交通量が多いのに大丈夫なのでせうか。 確かに今では奧が分讓地に成つてゐるさうなのでありますが、開發するに當つて、も少し利便性考慮した方が良かつたのでは無いのかなと思ふのであります。 七十年代頃に分讓し始まつて、道の整備が廿一世紀近くに成つてからと云ふのはどうなのかなと思つて仕舞ひます。 |
![]() |
して、出來たのが此處の信號機の交叉點に出て來る道と、栃木縣道卅號線バイパスであります。 此處、元々は丁度男性が居る位置に出て來る狹い道だつたのでありますが、今では中央線の有る良い道に成りました。 して、新幹線下の側道が不躾專用の拔道に成つて仕舞ひましたが、不躾故餘りにも非常識な走り方許でありましたので、徹底的に取締りされた樣であります。 まあ、當然でありますわな。呵呵 |
![]() |
良い曲線であります。 此處の左手、此程迄には元々の用地は無かつたのでありますが、多分、新幹線の下を眞直ぐ此方に拔て來る道が、栃木縣道卅號線のバイパスに成るのかも知れません。 元々は結構な斜面だつたと記憶してゐるのでありますよ、此處の曲りの外側。 併し嗚呼、斯くして元々の四號線の風景は變貌して行くのでありますね。 其前に記録に殘せたと思ひ度いであります。 |
![]() |
丸で新舊の對比であります。 運送會社も元々は無かつたでありますし、高速道路だつて無かつたのでありますからね。 當たり前でありますが。 高速道路が出來た當初はわくわくし乍走りましたが、實は片岡から白河迄でありましたら國道四號で行つても卅分程度しか違は無いのであります。 其氣附た曉には、ねえ。 勿論拙は下道でのんびり行く派であります。 其も四號では無く、もつとのんびり行ける道で、であります。 |
![]() |
此方工業團地入口も最近の完成であります。 確か此處は左右共に擴幅されたのでありましたかな。 して、此處迄が片岡の家竝と云ふ處でせうか。 此處からは復、暫く自然の景色が樂しめます。 |
![]() |
どうでありますか、手荒く良い景色でせう。 |
![]() |
良い景色に言葉は不要でありますので、此處からは出来るだけ画像のみで進め度いと思ひます。 因に、元々此辺はずうつと混凝土舗装でありました。 【其四】に續く。 |