2673年 8月 27日 探訪
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【其五】からの續きであります。 【現在地】 此立派な道でありますもの、現代なら眞直行き度く成つて仕舞ふと思ひます。 併しまあ、此處で立派な桝形を形成してゐる物であります。 |
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ちやんと右折致しますと、斯う云ふ景色なのであります。 先程の市道と大差無いと云ふのが御分かり戴けるでせうか。 |
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扨、此處からが前半の見所片岡地區に比肩するか、其以上の景色を樂しめる針生地區であります。 さうして、何故此處迄の距離で附替に成つたのか、想像に難く無い線形が此先判明するのであります。 |
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いやあ、手荒く良い景色であります。 此田圃を挾んで鐡路と竝走する景色と云ふのが旅情を誘ひ、大好きであります。 |
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此邊が此處の國道四號舊、舊々道で一番の絶景では無いでせうか。 |
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さうして、東北本線は上野を發つてから最初の隧道へと向ひ、國道四號は其手前を跨線橋で横切る爲、登り乍直角に折るのであります。 |
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之、今では考へられ無い線形でありますよね。 ずうつと直線で進んで來たと思つた途端、直角に曲るのでありますから。 まあ其でも外側に舊線形と思はれる空地の部分から考へますと、幾分かは曲率が緩和されてゐるとは思ひますが、 之だけ矢印が竝ぶのも分る氣が致します。 でも此方、未だ正面なのかも知れ無いであります。 |
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何故正面なのかは措いといて、東北本線を跨ぎます。 現地では跨線橋名は不明でありましたが、多分針生跨線橋とかさう云ふ名稱でせうね。 多分。 して、東北本線は 【針生隧道】 に向ふのであります。 |
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さう、此方に比べ度ら先程の折れ具合が可愛らしく見えて來ますよ。 何處ぞのステエジぢや無いのに中央分離帶附で曲つてゐるのでありますから。 何か今にも良い角度を附てアレな自動車が立上がつて來さうでありますよね。 縁石の痛み具合が默々と黒歴史を物語つて呉れてゐる樣であります。 |
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南下して來ると假定して、上つた先で行也直角に曲る何て、初めて通る人には危險過ぎると思ふのであります。 其に此處を無事に通過しましても、今度は直ぐに下り乍復曲るのでありますから、一度も東北本線と交叉し無い樣、片岡の入口から此處迄の附替も納得出來て仕舞ひます。 併し法面、左右で石積みの工法が違ひますので、多分上方面が擴幅され、其時に分離帶が附たのだと思はれます。 其にしましても分離帶、此方も角が取れて丸く成つてゐるのが餌食に成つた臺數を物語つてゐる樣であります。 尤も、矢印が路面に書いて有る時點でアレでせうが。 |
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扨、さう云ふ状況で、片側の歩道が部分的に無い儘で現道と合流であります。 併しまあ、此處の直角の曲りも然る事乍、矢板市内の交叉點の煩雜振りも相俟つて、現道へとの附替に成つたのだらうと推察致します。 して、其現道でありますが、如何やら矢板から野嵜間のバイパスが計畫されてゐるさうでありますので、現状の儘見られるのも時間が限られてゐると云ふ事に成つて仕舞ひました。 |
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野嵜バイパスが如何云ふ具合に成るのか分りませんが、此先も擴幅は困難な氣が致しますから、復別の場所に附替に成るのかも知れません。 不取敢、此方の樣に分離のし方はもう見られ無く成るのだとは思ひますが。 併し此方の區間の國道四號、素晴らしい景色が樂しめますので、急ぎでは無い場合、敢て通ると云ふ選擇をしても面白い道なのでは無いでせうか。 連綿と續く歴史も感じられますしね。 以上、御附合有難う御坐いました。 |