2677年 8月 1日 探訪
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此方は國道四百號と合流した上三依から縣境迄の丁度中間地點邊、男鹿川の不動瀧の直傍の澤に架る國道一二一號の橋であります。 現在狹窄區間を解消すべく鋭意擴幅工事中の國道一二一號でありますが、此橋の邊だけ未だ不着手状態であります。 でありますが、何時工事が開始されるか分りませんので早急に見たいなと思つてゐたのでありますが、丁度會津若松へ行く用事が有りまして、 而も結構早い時間に此方に來る事が出來ましたので、是は復と無い好機と思ひじつくりと見た次第であります。 扨、ぱつと見に高欄のみの橋でありますし、其意匠から大凡の年代判定で昭和卅年代から四十年代前半と云ふ處だらうと推察致しますが、其實如何なのでせうか。 不取敢此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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殘念乍、此方側には銘板は附て居りませんでした。 唯、何と無く附てゐたであらう形跡は御坐いますので、外した、若くは外された、最惡盜難に遭つたと云つた處でせうか。 可也交通量の有る道路でありますので排水桝の冩眞は撮つて居りませんが、多分此方 【茂木町河井-牧野 大藤橋】 と似た樣な物が附てゐると見受られました。 元々は混凝土路盤だつたのでせうが、結構舖裝が盛られて居りますね。 |
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不動橋。 先づ間違無く傍の不動瀧からの命名でせうね。 柱の幅に合はせた銘板が、如何にも高度經濟成長期と云ふ感じであります。 針金は何の爲に卷かれてゐるのでせう。 |
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高欄は混凝土板を二枚使用致しました意匠であります。 【芳賀町芳志戸 久津方橋】 に似た意匠と感じますので、ほぼ同世代と云つた處では無いでせうか。 |
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因に、橋上から不動瀧は斯う云ふ具合に眺められます。 中々に絶景だなと思ふのでありますが、氣輕に自動車を停めて見られ無いのが勿體無いであります。 何と云ひますかね、唯單に目的地に行くだけの道路で良いのかなあとふと思つて仕舞のであります。 斯う云ふ具合に途中に絶景が有名無名不問何處にでも御坐いますでせうに。 一寸、否、手荒く勿體無いでありますよ。 |
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して、架つてゐる澤は御覽の通りであります。 何か、枯れて居りますね。 でありますから澤として見無く成り、銘板を外したのでせうか。 併し、何處と無く御前岩を思ひ出しましたよ。呵呵 では右岸側へ移動致します。 |
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右岸側も外されて居ります。 して、嚴密に云ひますと法面と橋の間に隙間が御坐いますので、若かしますと先代橋とは若干架橋位置が違ふのかも知れません。 |
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不動橋。 何か高欄の痛み方が如何見ても自動車に因る物とは思へません。 若かしますと落石に因る物でせうか。 |
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横から見ますと、とは云へ此冩眞では分り辛いでありますね。 橋臺が其儘男鹿川の護岸に續いてゐる樣には見受られます。 |
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別な位置から見てみました。 之は所謂牀版橋と云ふ形式だらうと思はれます。 でありますので、年代的にも斯樣な物件の中では比較的後年の物に成るのでは無いでせうか。 と云ふ事で、平成廿七年の栃木縣の橋梁點檢結果を見ました處、昭和卅九年竣功の物件でありました。 中々に味はい深い物件でありますが、一體何時迄殘るのか、と云ふ物件でありました。 まあ、架替では無く擴幅に成つて延命するかも知れませんがね。 |
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して、其直上には瀧上橋の舊橋跡が在るのでありますが、云はれても分ら無い感じであります。 まあ、此方は遣るか如何か分りませんので、一應の記念撮影であります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |