2681年 5月 17日 探訪
![]() |
此方は
【鹿沼市府中町-朝日町 府中橋】
依り百五十米程西側、用水に架る國道二九三號の橋であります。 一見しますと橋には見え無い處でありますが然に非ず、左手歩道の端に親柱と高欄が見えるのであります。 扠、如何云つた橋なのか、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
![]() |
とは云へ上流側は斯樣な状態でありますので、下流側で見て行きます。 |
![]() |
大谷石で作られたであらう親柱に磁器製と思はれる銘板、主に戰前昭和から大凡昭和卅年代半ば頃迄見られた物が附て居ります。 例へば、戰前でありますと此方 【今市市山久保 矢紋澤橋】 、晩年でありますと 【宇都宮市岩曾町 地藏橋】 邊でせうか。 まあ、辛うじて"朝"の字の上の方だけ見えると云ふ感じでせうか。 |
![]() |
高欄も古風な意匠の大谷石で作られて居ります。 では右岸側へ移動致します。 |
![]() |
此方も可也破損して居りまして、辛うじて"あさひばし"の「あ」と「し」が讀める程度であります。 と云ひますか、何か無理矢理大谷石の親柱を載せた感じが致しますので、若かしますと大谷石の部分は後年に成り更新された物かも知れません。 |
![]() |
横から見ました處、此方は牀版橋でありますね。 して、高欄の大谷石が新しい感じが致しますので、先づ間違無く後年に成り更新された物だと推察致します。 きつとふるさと創生とか何か、さう云つた類の事業の一環だつたのでは無いでせうか。 まあ、街竝に合つてゐる雰圍氣が出せた感じで良いのでは無いでせうか。 因に、竣功は昭和卅七年でありました。 斯う云ふ銘板を使つた中では最晩年の物かも知れませんね。 以上、御附合有難う御坐いました。 |