2679年 10月 7日 探訪
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此方は
【茂木町小井戸 未成國鐵長倉線 栃木縣道廿七號線架道橋】
依り栃木縣道廿七號線を八百米程
【茂木町河井-牧野 大藤橋】
方面に進み、右に折る處を左折して百米程進んだ處、行田川に架る橋であります。 茂木町で見落しが無いか如何か、久々に航空冩眞を見てゐた處、此方を見落してゐたと思ひ某ストリイトビウで見た處、拙の大好きさうな姿でありましたので、 急遽臺風の前に探訪した次第であります。 扨、如何にも拙の大好きな昭和卅年代物件と云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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行田川。 混凝土板に刻まれた文字の銘板と、如何にも昭和卅年代風味でありますし、笠石部分もしつかりと殘つて居りまして、手荒く素敵であります。 して、讀みは多分「ギヤウダガハ」で良いのだと思ひます。 |
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義明橋。 結構埋れて居りますし、一寸見辛いでありますね。 |
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はい、斯う云ふ具合であります。 國土地理院地圖を見ました處、別段地區名から命名された樣でも御坐いませんでしたので、橋名の由來は不明であります。 |
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高欄は鐵管を二本使用しました意匠であります。 では左岸側へ移動致します。 |
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昭和三十二年七月竣功。 嗚呼、矢張さう云ふ年代でありましたね。 |
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ぎみようばし。 成程、斯う讀むのかと云ふ感じであります。 |
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横から見ました處、之は混凝土T字桁でありますね、多分。 まあ年代的に考へますと、其が主流でありますから。 して、當然の如く舊橋の痕跡は御坐いませんでしたが、何と無く橋臺の左右が附足されてゐる樣に見え無くも無い氣がし無いでも無いのでありますが、 多分之以前は木橋でしたのでせうから、多分橋臺は石積だつた事でせうので、きつと斯う云ふ具合に型枠を作つたと云ふだけでせうね、多分。 まあ、良い風合いの橋が見られて滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |