2678年 12月 4日 探訪
![]() |
此方は
【日光市細尾町 大谷川橋】
依り七百米程足尾方面に國道一二二號舊道を進んだ處、古河日光發電株式會社細尾發電所の細尾調整池に架る橋であります。 場所的に分り辛いのでありますが、舊道を進み、本當に小さいガアドレイル高欄の橋の横を右折して進むと直であります。 扨、結構な歴史的物件の樣な感じでありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
![]() |
手荒く立派で頑丈さうな親柱であります。 銘板が附窪みは在るのでありますが、銘板は無く、逆三角形の模樣が施されて居りました。 若かして發電所の商標なのかな共思つたのでありますが、輕く調べて見ましたが、如何やら違ふ樣であり、謎であります。 |
![]() |
下流側も同樣であります。 橋の勾配等が現代の自動車通行には嚴しいのか、少し舖裝等が盛られて埋り氣味でありますね。 と云ひますか之、親柱では無く控柱でせうか。 |
![]() |
高欄は如何にも古風と云ふ意匠であります。 唯、此方が戰前物件でありますと、 【市貝町竹内 きたたばし(漢字不明)】 や 【茂木町鮎田 鮎田橋】 等の高欄は昔乍の混凝土橋の樣式に則つた物なのかも知れません。 では左岸側へ移動致します。 |
![]() |
此方側の親柱も同樣であります。 上部に何か附てゐた痕跡が御坐いますが、何だつたのかは不明であります。 |
![]() |
あらまあ、此方の親柱は通行の邪魔に成つたのでせう、手荒く現代的、と云つても多分昭和卅年代か四十年代に直されたであらう感じに成つて居りました。 |
![]() |
美しいので左岸側からも高欄を撮りました。呵呵 |
![]() |
横から見ました處、此方は四徑間の、混凝土拱橋で良いのでせうか。 舟形の橋脚が又良い味はいでありますね。 して、少し調べて見ました處、充腹拱橋で良い樣であります。 して、竣功年でありますが、何と大正十年でありました。 既に百年程前の物と云ふのも驚きでありますが、良くまあ架替られずに居た物だと云ふ處に感心致します。 尤も、此處では交通量等ほぼ無いに等しいのでせうし、水害の心配も無いのかと思へば當然なのでせうか。 如何やら土木遺産の樣でもありますので、此儘末永く殘つて行く事でせう。 |
![]() |
と云ふ事は、此方、巡視路の橋でありますが、此方も同樣の竣功時期と云ふ事でありますよね。 |
![]() |
鐵柵は當時物なのでせうか。 |
![]() |
此方も充腹拱橋でありますね。 何か、此方は誰も注目してゐ無いのか、ネツト上で冩眞を見掛無いのが勿體無いなと思ひました。 と云ひますか、此方も含て土木遺産に成つてゐるのでありますかね。 以上、御附合有難う御坐いました。 |
戻る.