2680年 5月 28日 探訪
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此方は
【日光市細尾町 大谷橋】
依り五百米程國道一二十號第二いろは坂を進んだ處、名稱不明の澤、とは云へ明治時代や昭和初期迄の地圖を見ますと、多分中澤と云ふのだと思ひますが、
さう云ふ河川に架る橋であります。 まあ、大谷橋と同時期と云ふ依りも同時でせうね、に架橋されたのは明白であらうと思ひますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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大谷橋同樣親柱は無く、高欄のみの意匠であります。 して、銘板を取附る部分は御坐いますが、銘板自體は消失してゐるのか元々附てゐ無いのか、さう云ふ状態であります。 |
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此方側は取附部分すら御坐いません。 |
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高欄は昭和卅年代後半以降定番の一種、柵の樣な意匠であります。 では右岸側へ移動致します。 |
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右岸側は基本的に銘板を省略してゐる樣であります。 |
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ね。 ん、と云ふ事は、此方、澤の名稱は本當に附てゐ無い、と云ふ事は無いのでせうが、公式的な物は無いと云ふ事で、橋梁名だけ表記してゐたと云ふ事だつたのでせうか。 |
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横から見ました處、此方三徑間の鈑橋でありました。 さう、今囘書くに當つて調べて居りました處、 【栃木縣日光土木事務所所管 國道120號乳の木橋の補修補強】 と云ふ頁に當りまして、其方を見ますとゲルバア桁を有するI桁鈑橋なのでありますね。 普通のI桁だと思つて居りましたら中間部はゲルバアとは、中々にそゝられる構造でありました。 其に、ずうつと直線だと思つてゐた此方でありますが、斯うして見ますと微妙にS字だつたのも初て知りました。 尤も、何度も通つてゐたとは云へ、自動車に乘つてゐたのでは斯樣にじつくり見るのと譯が違ひますからね。呵呵 まあ、詳くは上記の工事記録に記載されて居りますのでアレでありますが、拙的には素晴しい眺が堪能出來て手荒く良かつたであります。 さう、因に竣功年は昭和卅九年でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |