2674年 3月 3日 探訪
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初めて自動車で此處を訪れた人は、一體如何云ふ走り方をすれば此交叉點に辿着けるのか手荒く疑問な部分なのでありますが、不取敢舊道部分への分岐點で御坐います。 一應 【此處】 なのでありますが、もう何と云ひますか實際、も少し何とか成ら無かつたのかと思ふ次第の處であります。 まあ正直、自轉車でも此處は嫌でありりますなあ。 事實、間違へて最初は國鐡の側道を行つて仕舞ひましたから。 と云ふ事で、右に入つて行くのであります。 |
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因に此處が舊線形部分であります。 御決りの直交接續へと改修されてゐる譯でありますね。 併し此處、其也の勾配でありますから、降雨時にどう云ふ事に成るのか、一寸見てみたい氣が致します。 |
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出來れば上記リンクでストリイトビウ等も一緒に參照して戴けると分り易いのでありますが、道自體は明治時代には既に在る、昔からの道筋であります。 して、陸羽街道(奧州街道)との交叉點も現在の位置と同じであります。 だから餘計にややこしい事に成つてゐる氣がし無いでも無いのでありますが、まあ、仕方無い處でありますかね。 坂を下りましたら橋が見えて來ました。 |
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はい、別段何の變哲も無い古びた橋であります。 古からの道に有勝ちな狹い橋と云へば其迄であります。 強いて云へば、今時の堤防依りも若干低い位置の儘に架つてゐる邊、舊道落ちして交通量も減つた爲に此姿の儘架替も無いと云ふ事なのでせうか。 まあ、ずつと殘つてゐて呉れた方が見て樂しむだけの人間には有難いのでありますが、地元の人としましては如何なのでせう。 觀察眼鋭い人でありましたら、何かアレな事に既に御氣附きの事だと思ひます。 |
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どうでありますか、橋脚八本、威風堂々たる九徑間の橋なのであります。呵呵 と云ひますか、之つて假橋に毛が生えた程度なのでは無いかと、手荒く惱んだのであります。 まあ不取敢、此方右岸側から見て行きます。 |
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かわだばし。 丸で取つて附た樣な親柱が素敵であります。 何と云ひますか、高欄とのちぐはぐさが假設と云こますか、急拵への樣な雰圍氣を釀し出してゐる樣に感じます。 併し銘板、中を赤く塗つてゐた樣でありますが、其も一寸珍しい氣がするのであります。 其と、親柱の斜めの意匠が大凡の年代を教へて呉れてゐる樣でもあります。 |
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昭和四十四年十二月竣工。 嗚呼、矢張思つた通りの年代でありましたか。 道理で斜の意匠だと思つたのであります。 併し高欄の端の塞ぎ方の意匠、 【宇都宮市下河原一、天神二-簗瀬一 簗瀬橋】 や 【宇都宮市簗瀬一 水畄橋】 の樣であります。 |
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工事銘板の類。 さう云へば、類(たぐひ)と云ふ日本語が今では通じ無く成つてゐると云ふ事を思ひ出しました。 |
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橋脚を良く見ようと思ひまして、川面近くに降りました。 さうしましたら、何か一本だけ橋脚が違ふのであります。 如何見ても他の橋脚と比較しましても、此一本だけ明かに違ふ造型なのであります。 之つて、若かして先代の川田橋の橋脚を其儘使つてゐると云ふ事、でありりますよね、多分。 と云ひますか手前の橋脚、何か柱の間隔が不揃、且斜の儘に作られてゐて大丈夫なのかと心配なのでありますが、今迄保つてゐるので何等問題無いと云ふ事でありますね。 さう云ふ點でも、何か假橋つぽいのでありますよね。 では、左岸側へ移動致します。 |
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高欄は全て繋つてゐる型、と思ひきや、良く見ると桁毎に分割されてゐる樣であります。 |
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排水桝は斯う云ふ具合であります。 |
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さう、何か構造物が在るよなあと思つたのでありますが、矢張倒れた橋脚でありました。 併しまあ、隨分と角が取れて丸く成つてゐる物であります。 矢張揉れ無いと何かと丸く成ら無いと云ふ、と云ふ事ではありませんね、はい。 と云ひますか之、埋り方が淺かつた爲に流出したと云ふ事なのでありますかね。 |
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も一つ在りました。 此方、左岸に近い方が崩壞の度合も著しい樣であります。 斯樣な事から、大水で橋が倒壞して現在の橋が架られたのは明白でありますが、災害復舊で急拵へだつた爲、 殘つた元の橋脚一本を其儘生かして再建する事にした爲に、斯樣な姿に成つたのでは無いのかなと推察する次第であります。 だつて、此位の川幅でありましたら、昭和四四年でありましら二徑間か三徑間で十分な筈だと思ひますもの。 |
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川田橋。 |
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田川。 |
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桁同士の繋ぎ方が成程なと云ふ感じであります。 併しまあ、新しい橋脚も滿身創痍に近い状態では無いかと思つて仕舞ひます。 結構痛みが激しい部分も散見されますし。 其に、草の引掛り具合からしまして、水が出る時は結構高い位置迄來るのだなと云ふ感じであります。 併しまあ、ねえ。 じつくりと見ると色々と、でありますよね、實際。 |
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主桁の眺めであります。 繼目の部分で成程な、と云ふ感じであります。 |
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橋臺は斯う云ふ具合であります。 て、否、之もう先代物件のを其儘利用、改修して使囘ししてゐるでせう。 扨、では先代が何時頃の橋だつたのかと云ふ事でありますが、正直、航空寫眞だけでは何共判斷附ませんでした。 戰前からの物件と云へ無くも無い感じでありますし、否、戰後、昭和卅年代物件共云へる樣なと云ひますか、さう云ふ感じでありました。 して、問題は【此方】の空地であります。 元々此處は河原の樣で、航空冩眞で見る影の具合からしますと、住宅の前の道との境邊から一徑間だけ橋が架つてゐた樣にも見え無くも無いのでありますし、 土盛されてゐた樣にも見え無くも無いと云ふ感じであります。 でありますので、現在の右岸側の橋臺が在る邊が中洲の樣にも見えるのであります。 其と、元々は三徑間か四徑間の橋だつた樣に見受られますので、場合に依つては戰前物件、若しくは昭和卅年代前半の物件が大水に因り流出し、 一本だけ殘つた橋脚を利用した方が一番安價に仕上る爲に、斯う云ふ橋に成つたと考へるのが一番妥當な氣が致します。 何れにしましても、樣々な要因で斯う云ふ特異な形状に成つたのだと思ひますと、其は其でさうなのだなと思つた次第であります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |