2676年 10月 3日 探訪
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此方は
【宇都宮市下平出町 名稱不明橋】
依り卅米程東側、直上で分岐し、今は廢された越戸川の用水に架る、架つてゐた橋であります。 矢張先程の橋同樣、一見しただけでは橋に見えませんが、良く見れば高欄にガアドレイルが附て居りまして、辛うじて橋だと云ふ樣子が見て取れます。 して、此方の橋も大凡同年代だらうとは思ふのでありますが、不取敢此方、右岸側から見て行きます。 |
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二ノ橋。 をゝ、此方はちやんと文字を見る事が出來ました。 と云ふ事は、鬼怒川へ向つてなだらかに下つてゐるのでせうか。 と云ひますか、元々は平坦だつたのが、何かしらの理由で緩い勾配が附樣に成つたと見るのが正解なのでせうが。 併しまあ、中々に立派な楷書の字體でありますし、親柱の上、飾りの笠石的造型も殘つてゐる邊、意外と良い状態なのでは無いでせうか。 |
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對して下流側は親柱始め、高欄も撤去されて仕舞つて居ります。 但し二六七三年のストリイトビウでは其姿が殘つてゐた事が確認出來ましたので、探訪が遲れた事が惜しまれます。 辛うじて親柱の在つた部分だけは確認出來ますかね。 |
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高欄はほとんど埋つて居りますのでアレでありますが、中心に柱が在る姿に、古式懐しい樣式を感じます。 では左岸側へ移動致します。 |
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昭和三年八月竣功。 をゝ、昭和一桁、而も見事に前半も前半であります。 して、さう、昭和一桁物件が現役と云ふのも素晴しいでありますが、斯うして欲しい情報の部分の親柱が殘つてゐて呉れた事に感謝致します。 |
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横から見ますと、之は多分に牀版橋と云ふ形式だと思はれます。 とてもT字にする程の高さは無い樣に思はれますので。 其と高欄、穴が開いてゐる意匠だと云ふのは分るのでありますが、半分はガアドレイルの支柱を入れる爲に埋られてゐる樣な感じでありますので、 本來の姿が如何だつたのかを想像するのは難しい樣な感じであります。 併し此方、元々でありましたらもう一本橋が在つたさうなのでありますが、其々に越戸川から分岐してゐた用水が廢されましたら、 此方は其儘殘り、もう一本は完全に道路に變貌して仕舞つた樣であります。 扨、では元々何の時代迄元の姿だつたのかの推察でありますが、航空冩眞を見ますに、西暦1960年代は元の姿の儘だつた樣な感じであります。 其が斯う成りましたのは、多分でありますが、現柳田街道が出來た頃に斯う云ふ具合に改修されたからなのでは無いでせうか。 其でも、兔にも角にも此儘殘つてゐて呉れてゐると云ふ事が素敵でありますし、此儘一世紀以上供用された儘でゐて欲しいなと思へる物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |