2674年 3月 11日 探訪
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此方、
【宇都宮市錦一-錦二 名稱不明橋】
から下流側を見た時に發見致しました。 拱橋、而も大谷石造と云ふ事で、思はず「凄い」と聲を上げて仕舞ひました。 併し大谷石の拱橋だ何て素敵過ぎます。 と云ふ事で、右岸側から見て行き度いと思ひます。 因に、左岸側は矢張昭和卅年ころからの創業でせうか、染色工場であります。 |
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中央部は混凝土で出來てゐる樣であります。 扨、して此方の物件、如何云ふ使はれ方をしてゐた物件なのでせうか。 手前側、別段階段と云ふ物でも無ささうでありますし、渡つた先も塞れて居りますし、一寸良く分ら無いのであります。 護岸の下の方には廢排水口と思しき部分が見受けられます。 |
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不取敢渡つて見ました。 當然でありますが、人一人が乘つただけでは頑丈其物であります。 |
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して、右岸側の大谷石の構造物の中は斯う成つて居りました。 如何見ても暗渠でありますので、之つて多分、水路だつたと云ふ事でありますよね。 と云ふ事は此方、水路橋だつた物件で、現在は水路部分を撤去して有ると云ふ事でせうか。 |
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航空寫眞を見ますと、曾ては右岸側にも何か構造物が在つた樣でありますので(現在は無い)、其方で使ふ、若くは其方で汲上た水を送る爲に使用されてゐた、
と推察するのでありますが如何なのでせう。 不取敢給水なのか排水なのかは謎の儘であります。 因に橋の構造でありますが、細い石の組合せで出來てゐる樣であります。 其にしましても、結構手間が掛つてゐるのでは無いでせうか、此橋。 |
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して、此處も大谷石の護岸が兩岸共に綺麗に續いて居りました。 併し此感じ、若かして水路も廢止されてゐるのでせうか、如何も暫く水が流れた樣な形跡が無い樣に見受けられます。 其にしましてもまあ、意外な發見で素敵な物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |