2673年 10月 7日 11月 18日 探訪
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【其一】からの續きであります。 【現在地】 此處、何で斯う云ふ具合に一旦北上してから方向轉換するのか不思議なのでありますが、若しかして水捌の問題等が有り、 若干山際で高い位置に道を通したと云ふ事なのでせうか。 と云ふ感じかなと思ひましたのは、左手の田圃が若干低いからなのでありますが、如何なのでせうか。 併し舖裝の幅は狹いのでありますが、道路用地自體は其也に廣くは確保されてゐる樣な感じであります。 |
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栃木縣道路公社日光宇都宮道路(日光道)と交叉致します。 此方は昭和四九年か五十年頃の竣功かと思はれる、何でせう、架道橋で良いのでせうか、所謂ボツクスカルバアトと成つて居ります。 まあ元々の高さは此方の冩眞でも前の冩眞でも御察しの通りなのでありますが、有料道路側優先で下道側を開鑿する物なのでありますね。 して、過ぎましたら左折であります。 |
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多分、右手に見える丘の段差の部分が元々の高さだつたのでせう。 其と、左手に見える石碑でありますが、昭和十二年に出來た用水路の記念碑でありました。 勿論、現在では其當時の面影は見る影も御坐いません。 |
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良い感じの折具合であります。 して、直に現道と交叉致します。 |
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現道と交叉致します。 斯うして見ますと、矢張道路の左右側で土地に高低差が在る事が伺はれます。 |
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之は良い感じの桝形と云ひますか、折具合であります。 と云つても、元々の線形其儘と云ふ譯では無く、日光道の邊から此邊迄は擴幅等の改修が行はれてゐる樣であります。 |
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此處で左手から明治期からの本來の道筋が合流し、且つ本來の姿の儘の道に戻る樣であります。 何か、其で良いのかなと云ふ感じがし無いでも無いでありますが、まあ、ええ。 斯うして見ますと、現在の規格との幅員の違ひが良く分ります。 |
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前に見えるのは、火見櫓と云ふ依りは消火用のホオスを乾す爲の櫓でせうか。 當り前でせうが、昔乍の道の曲線には傾斜が附て無く、平坦な儘曲つて行きます。 |
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其と素晴しいのは、集落に入りますと何時の間にか自然と道幅が廣がつてゐる事であります。 何か矢張今には傳つてゐ無い昔乍の日本人の知恵と云ひますか慣習と云ひますか、さう云ふ事に基因した造りなのでせうね。 貨物自動車の近くの路面に40と書いて在るのが、差詰元々は縣道だつたと云ふ證でせうか。 |
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も一つ思ひますのは、斯う云ふ具合に集落の途中で幾度か曲つてゐるのは、防犯的意味合ひから集落全體が見渡せ無い様にしてゐるのか共思ひますし、
或る程度各戸のプライバシイを守る為なのでせうか。 矢張何も彼も全てが全戸から見渡されると云ふのは流石にアレでありますものね。 【其三】に續く。 |