2681年 2月 9日 探訪
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此方は
【小山市高椅 田川橋】
依り二五〇米程栃木縣道二四一號線を東進した處に架る橋であります。 とは云へ、 【大田原市瀧岡 大澤橋】 や 【宇都宮市駒生町 大橋】 同樣に架橋當初の河川、此方の場合は用水でありますが、其は既に無く、橋だけが殘された状態であります。 ぱつと見の印象は戰前物件の樣な感じでありますが、さう思ふと案外戰後物件だつたりする場合も御坐いますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、左岸側だつた方から見て行き度いと思ひます。 |
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おりとはし。 銘板部分に當る部分の混凝土が別體に成つて居りまして、其處に文字が彫られて居ります。 之だけで戰前、而も昭和十年前後から其以前と決附るのは早計でありますね。 「おり」が一體如何云ふ漢字なのか分りませんし、て、題名は今の處アレでありますよ、でありますので。呵呵 因に、戰前の代表例としまして 【宇都宮市大谷町 觀音橋】 。 戰後、昭和卅年代の混凝土銘板の一例として 【茂木町福手 福手橋】 と云ふ感じでありますが、如何でせうか。 |
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折戸橋。 はい、戰後物件でありますね。 正假名遣ひでは「をり」が正解でありますので、昭和廿一年以降、田川橋同樣航空冩眞を頼りに致しますと昭和廿三年以降の物件確定であります。 |
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高欄は六角形の穴が開いてゐる意匠であります。 では右岸だつた側へ移動致します。 |
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おりとはし。 用水だからでせうか、斯樣な橋でありますのに兩岸で對稱表記に成つて居ります。 |
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折戸橋。 其にしましても中々に味の有る字體であります。 さう、表面が洗出仕上では無いのであります。 |
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横から見ました處、此方は牀版橋でありますね。 扠、竣功年でありますが、遲く共昭和卅五年迄だと云ふのは航空冩眞で確認出來ます。 で以て、全體の造の雰圍氣が 【市貝町竹内 きたたばし(漢字不明)】 や 【今市市長畑 叶橋】 に何と無く通ずる物が御坐いますので、多分昭和卅年前後には架設されてゐるのでは無いでせうか。 偶々通掛つたから發見出來た橋でありますが、岡と成つた今でも其儘殘つてゐる貴重な物件を見られたと云ふ事で手荒く滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |