2680年 5月 18日 探訪
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此方は
【日光市細尾町 舊幸橋跡】
の直傍、大谷川に架る國道一二十號第一いろは坂の現在の幸橋であります。 ぱつと見に隨分とまあ凄い線形だなと云ふ印象と、何處か一般道の橋と云ふ依りも高速道路の橋と云ふ印象でありまして、 親柱も無い姿から餘古さを感じさせませんが其實如何でせうか。 と書いても舊幸橋跡で書いた樣にアレなのでありますが、不取敢まあ、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 嗚呼さうさう、右岸側に舊線形の合流部分が見えて居ります。 |
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幸橋。 えゝと、之は地覆部分と云へば良いのか高欄と云ふか防護柵部分と云へは良いのか、さう云ふ處に銘板が附て居ります。 まあ、質實剛健的な銘板であります。 |
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直傍に橋歴板が、之は地覆部分上面に附て居りました。 して、昭和四二年十一月竣功でありますね。 唯、矢張と云ふか意外と云ひますか、建造が自治體では無く道路公團だと云ふ點が成程、斯樣な構造に成る譯だと妙に納得した次第であります。 矢張初期の有料道路と云ふ點での管理管轄の違ひからでせうか。 |
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昭和42年11月完成。 下流側に橋歴板が御坐いますので此處は河川名が欲しかつた處でありますが、其も何か納得と云ふ感じであります。 |
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高欄は高速道路の橋を全體に低くした樣な意匠であります。 併し凄い線形に凄い斜橋具合であります。 |
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排水桝。 |
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横から見ました處、鈑橋だと云ふのは分りました。 して、少し調べました處、矢張鈑桁と出て居りましたので、多分I桁なのでせう。 と云ふ事は、第二の 【日光市細尾町 大谷橋】 や 【日光市細尾町 乳ノ木橋】 の樣な物と云ふ處でせうか。 では右岸側へ移動致します。 |
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さいわいばし。 さう云へば、何故舊橋も幸橋と云ふ名前なのか疑問だつたのでありますが、 如何やら元々中禪寺湖と云ふ依りも幸湖と云ふ名稱の方が一般的だつた樣な表記が古地圖にはされて居りますので、其處からの命名なのかなと推察致しました。 |
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昭和42年11月完成。 何と珍しい、竣功年が両岸側に御座いました。 其御蔭で河川名表記が御座いませんが。呵呵 併しまあ、斯う云ふ時で無いとじつくりと見る機会等無いでせうから、今回此方もじつくりと見られて良かつたであります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |